戦国中山王圓鼎を習う(96)「爲人臣之」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。又工智施。詒死辠之又若、智爲人臣之宜施。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「爲」:3回目です。象を操って作業する形から、事を為す意になります。上の部分が手、左に垂れているのが長い鼻です。中山王諸器の兆域図に簡略体が出てきます。

○「人」:10回目です。他の字例と比べると左下に伸びる腕が若干長いようにみえます。

○「臣」:4回目です。この造形を見る度にオーム貝の美しい対数螺旋が目に浮かんできます。

オーム貝

○「之」:18回目です。中山王諸器の中で最も多く出てくる字で、円鼎・方壺・円壺の三器だけでも重文を含めると46例ありますが、その内、円壺での6例中3例が右上から左下に伸びる線が中央の線を貫く形になっています。器ごとに字形表現上の違いがあることを示す事例の一つです。

『中山王□器文字編』(張守中編)「之」

 

戦国中山王圓鼎を習う(95)「之有若智」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。又工智施。詒死辠之又若、智爲人臣之宜施。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「之」:17回目です。左の2画、付かず離れず一体に書くのはとても難しく、三水の運筆に通じるものがあります。

○「有」:5回目。拓によって脚の方向が微妙に異なっている様にみえるかもしれません。ここに掲げた図は『戦国中山三器銘文図像』に拠って臨書したものです。

○「若」:3回目です。「ゆるす」意です。[字通]には「巫女が両手をあげて舞い、神託を受けようとしてエクスタシーの状態にあることを示す。艸はふりかざしている両手の形。口は(さい)、祝祷を収める器。」とあります。中山篆は本来の頭(頭髪)と両手の部分の形が随分変形しています。あるいは確信的に装飾的表現にしたのかもしれません。なお、容庚編『金文編』では自説を添えて「若」に草を手中する形「芻」(すう)を充てていますが、その自説に配慮してか、巫女が髪を振り乱している豊富な字例を封殺し反映させていません。しかし、「匿」の項ではその字形を「若」として是認しています。これは、後出(後漢)の説文解字を金科玉条とした陥穽(落とし穴)といえそうです。※〔説文〕一下「菜を擇(えら)ぶなり。艸右に從ふ。右は手なり」

「若」 古文字類編と金文編

○「(智)」(知):6回目です。ここでは「知」(しる)意でもちいています。現在の活字形では「干」が省略されていますが、甲骨文では「矢・子・」の構成だったり、戦国期金文では「矢・干・曰」という構成が多かったりしているのがわかります。なお、「矢」の肥点については前回(93)で触れていますが、先ほどの『金文編』には中山三器方壺に字例に肥点が入っています。しかしこれは誤りで、中山三器銘文の「智」にはいずれも肥点を入れません。戦国同期の魚顚匕(魚鼎匕)(※匕は匙(さじ))は中山篆にとても似ているので比較するための図を添えておきます。

「智」 魚顚匙との比較  古文字類編に魚顚匙の図を加えたもの  吳鎮烽:“魚鼎匕”新釋より引用

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(94)「也詒死罪」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。又工智。詒死辠之又若、智爲人臣之宜施。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「施」(也):3回目。この字は李学勤が比定した「旃」(せん)を白川静(1910~2006)も承け、赤塚忠(1913~1983)は「□」(えん)とする一方で、朱徳熙(1920~1992)、裘錫圭(1935~)、張守中、小南一郎(1942~)らは「施」としています。「旃」を構成する丹に似たものはもと「冉」(ぜん)で、その古い字例にこの形に関連するものは見いだせません。張守中がいうように、これは「它」(た・だ)の変形したもので、楚簡にその原型らしきものが認められます。ただ、中山三器の方壺には「陀」字があって、その形は「它」本来の形が保たれており、円壺の「施」の「它」とする考えに抗うようにもとれます。しかし、別器でもあり、なお中山篆の鷹揚な造字感覚を以てしてあり得ることではあります。ちなみに、『金文編』は朱裘両氏の説を付けながらも、不明な字として巻末にまとめています。

○「詒」:音は「たい」、義はここでは「おくる」です。「台」は耜(すき)「ム」(し)と祝禱を納める器「」(さい)からなり、呪具を用いて何かを神に伝えることで、そこから「おくる」意が生まれます。相邦である貯の功績や明智に対し、三代に亘って死罪を免除するという特権を贈ることを述べているところとなります。「台」の「ム」の終画を左上に引いている拓がありますが、この部分は器面が銹(さび)や腐蝕によって傷ついており、鮮明でないところを塡墨して筆画を作っていると思われ、やはり他の字例の通り左下に向かって終わるべきです。

○「死」:2回目です。残骨の形である「歺」(歹 がつ)とそれを弔う人からなる字です。「死」には異体字がいくつも存在していますが、中山篆研究の第一人者である張守中氏は著書『中山王器文字編』の中で、兆域図にある下の字を「死」として編入しています。これは説文古文との関連があるもので活字では「」と表記されているものの系統と思われます。また、この字形は「夢」の甲骨文に床形とともに含まれる、眉飾か角がある人形(ひとがた)を想起させます。これを夢魔を祓う巫女とする説があるのですが、この「死」の異体字をみると、夢魔そのものとも思えてきます。

張守中編『中山王□器文字編』「死」より
「死」説文古文

○「辠」(罪):「自」と「辛」とからなる字。鼻に入れ墨を施す刑罰をさす字です。[説文解字]には「罪」と「辠」、異なる構造による2つの小篆があげられています。「辛」には肥点が入ります。この肥点はかなり小さめなので拓影にはっきりと出ない場合がありますので注意が必要です。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(93)「克有工智」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(克):5回目です。ここではことをなす・よくする・かちとる・うちたてるなどの意です。多くの字書では「克」をひとあしの部首に加えていますが、人体とは関係がありません。「克」はおそらく木を彫ったり削ったりするための刀で、上が取っ手で下が刃身です。この字「」はその曲刀「克」を手で持つ構造にしたものといえます。[古文字類篇]を参照すると、甲骨文の字形には、刀身の部分が人の脚を含む首から下をあらわしているものがあります。一方、幼児をあらわす「兒」(児)や顔(あご)に髭が生えている形の「須」には逆に脚を含む首から下の部分が「克」の刀身のようになっているものも見いだすことができます。

○「有」:4回目です。右手「又」(ゆう)に渦紋を添えています。同音である「又」を「有」として用いることは金文で多くみられます。この渦紋は肉づき「月」の省略形ではなく、中山国篆特有の装飾的表現です。ところで、中山王諸器の兆域図には「寸」を[又」の意で用いる例があります。現在、活字体に「寸」が含まれる字はたくさんありますが、例えば「壽・尊・尋・對・導・射・尃」などの西周以前の字形は「寸」ではなく「又」となっています。「寸」を含む字例を渉猟すると、「寺」の場合は中山篆同様に戦国期になって「寸」の姿が現れ始めますが、多くの場合、「又」が「寸」に変化するのは、漢簡などの資料に初見されますので、漢時代近くになってからのことだということがわかります。必然的に、それらは後漢に編纂された[説文解字]に反映されていくことになりました。小篆の字形が原初の字源に基づいているわけではないといわれるのはそのためもあります。

○「工」(功):2回目です。功労や功績、それに携わる者、あるいはそのもとになる才能といった意を持ちます。「工」は祭事の際に巫女が左手に持つ呪具の場合と鍛冶の工具台の2通りの場合がありますが、この「工」は鍛冶の作業を経て生産されたもの、その功労、功績といった意味に通じ、今の「功」をあてて解釈します。実はこの「功」は後になってできた字で古い字例がありません。金文では例えば「成功」(功労・功績を成す)を「成工」、「有功」(功績があること)を「又工」と表記していました。下に、「成工」が出てくる《也簋》(沈子也簋)(いき・西周康王期)の拓影とともに拙臨を紹介させていただきました。

[古文字類編]工

 

《也簋》拙臨

○「智」:5回目です。「智」はさといこと。相邦(家臣の長)である「貯」が功を立てることができたのは明智あるがゆえであると述べているところです。構成素で楯をあらわす「干」(かん)の脚先を「矢」の脚先に揃えずに少し上げることで動きを生んでいます。なお、その「矢」の字形は、金文の通例では鏃の下に肥点がつきますし、中山三器の《方壺》の「侯」の字3例にはしっかり加えているのですが、この7例ある「智」にはどれにも入れていません。これでは「大」と同形になってしまいます。肥点をよく加える中山篆にしては珍しい気がしますし、その理由を探る術が欲しいところです。

 

戦国中山王圓鼎を習う(92)「謀慮皆從」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(謀):「母」と「心」から構成されています。「母」の音(ぼ・も)と「謀」の音(ぼう・む)は近いため通用していたと思われます。「母」の縦画は最後を「心」の画の間に入れるため、やや左に寄せた位置から書き始めます。

○「」(慮):2回目です。「呂」は青銅器を鋳造するための銅塊が2つ並んだ形で、古い字形には2つを繋ぐ線はありませんでした。「心」がそれらの脇をきゅっと締めるようにして書きます。

○「」(皆):字形の構造は「虍」と「歺」(歹)と「曰」からなっています。活字に隷定する場合は、「虎」と「曰」による構成では不十分だと思います。赤塚忠氏によれば、秦始皇二十六年詔版の残片では、他の詔版が

拙齋蔵拓

の様にしているのに対し

秦始皇二十六年詔版の残片にある「皆」と比定される字

としているとのことです。一般的に公開されている拓や私蔵の拓を確認したところ、すべて標準的なもので、ついにその残片の字例を確認することは適いませんでしたが、甲骨文編にこれと近似した字を認めることができます。しかし、残念ながらこの字についての詳細は不明なままです。

○「」(從):2回目です。「从」の終筆が細く拓にあらわれていない場合がありますが、「止」に接する位置まで伸びています。

戦国中山王圓鼎を習う(91)「以寡人許之」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「以」:8回目です。上部右に膨らんだ位置と書き終える最後の位置が概ね揃うようにしてまとめます。

○「頁々」(寡人):「寡人」とは「わたし」という意。王侯が自称するときの語で、この銘文を起草した中山王のことを指しています。(77)までは「寡人」と2字刻していたのに、(86)から「寡」に重文のように踊り字(二の字点)をつけて「寡人」と読ませています。原字「頁」の字形は首から上の頭部を強調したものですが、その頭を除いた部分はまた「人」の字形と見えなくもありません。そのため、その「人」を繰り返せばよいと考えたのでしょう。中山国人の柔軟な思考力に感心させられます。これに似た例は他にも中山三器の方壺に「夫」字の右脇に二の字点をつけ、「大夫」と読ませるものなどがあります。なお、赤塚忠の当該研究は大変優れたもので、裨益するところ極めて大きいのですが、解読に用いた拓は質が良くありませんでした。そのためにいくつか誤った解釈がみられます。ここでも二の字点が拓に写し取れていないために解読に行き詰まり、銘の不備との言及をしているのです。まさか踊り字によって、「寡」の「人」に見えなくもない下部を繰り返させて「寡人」と読ませるとは。赤塚氏も想像だにしなかったに違いありません。また、このことは金石研究には良質の資料が欠かせないということを示しています。下の部分は最後の長脚が中心から離れないよう、やや左に寄せて書きます。

○「許」:声符で杵の形である「午」には(ご・ぎょ)の音があります。「許」とは呪器としての杵を祀ることで神から示される許諾をいいます。言偏の▽部を小さく、肥点は高さ中央付近に配します。

○「之」:16回目です。

戦国中山王圓鼎を習う(90)「稷之光是」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「禝」(稷):正字は「稷」。示偏ではなく、ノ木偏です。農耕の神あるいはミートミレットともいわれる「たかきび」をさす字です。「社」とともに用いること4回目です。声符の「畟」(しょく)が田神をあらわしています。示偏に替わったのはそのためでしょうか。ノ木偏が示偏に変わることは、楷行書において字形が近いこともあって三国時代以降、「秦」などでもみられますし、逆に、「秘」のように本来の形である「祕」の通用体が定着してしまう例もあります。なお、中山篆では「田」字形に角を出すものがありますが、「愚」の「頭」をあらわす場合だけでなく、「胃」の「胃袋」をあらわす場合にもつける例があります。

○「之」:15回目となります。

○「光」:「火」と両脚をあらわす「儿」(じん・にん)とからなります。火を掌る立場の人をいう字です。脚部の周囲にある4つの画は光彩や気を放ったり、風を生んだり、禾穂の実がはじけたりする象で、「若・頁(寡)・翏(りょう)・穆」などに共通する装飾的表現です。なお、「火」は「勞」でも同形を用いますが、「魚」の字でも尾びれあたりの部分も肥点の位置が若干異なるものの似た形になっています。

○「氏」(是):4回目。共餐のときに肉を切り分けるために使う取っ手が付いた小刀の形です。両字を通用させるのは音が近いためです。刀身につく横画は肥点になることがあり、中山篆では肥点を渦紋の位置に揃えて書きます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(89)「業々恐隕社」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「々」(業々):「々」は「ぎょうぎょう」と読み、畏れる様をいう語です。この「」は「業」に通じ、「業」はまた災いや危ういという意を持つ「隉」(げつ)にも通じる字です。(45)には「」(業)が出ていましたが、この場合は仕事・事業の意として使われていました。「業」はぎざぎざの歯があって土を撲(う)ち固める版築の道具とされています。

○「」(恐):「恐」は呪具である「工」を両手で掲げる「」(きょう)からなりますが、この「」が「恐」の初文であり、両手を省いた「」も同様に畏れかしこまる意となります。このところ、「心」を含む字がたびたび登場してきますが、中山三器には「心」を含む字が実に31種存在しています。

○「隕」:天より落ちるものをさす字です。声符の「員」(いん・えん)は鼎の口のまるい様をいうことから「まるい・あまねし・かず」などの意を持ち、「阝」は神梯、つまり神が天から降りてくるためのはしごの形です。梯子の足をかける段は中程にコンパクトに集めて緊密にし、上下の伸びを強調させます。

○「」(社):4回目です。国家をさす「社稷」の語として円鼎銘文に使われています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(88)「不可得憚」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「不」:8回目になります。第一画の長さは▽部の幅に揃えて書きます。ちなみに、中山三器の場合は「不」の字はすべて肥点は入らないのですが、「不」を含む「否」には肥点を入れています。また、中山王諸器の兆域図の場合は肥点ではなく横画を入れた字形になっています。

○「可」:祝祷の器「」(さい)を木の枝「」(か)で打ち、神からの託宣を促す形。その結果、神からの許可が下りるわけです。ちなみに、「攴・攵」(ぼく)は木の枝を手で持つ形で、やはり刺激を与えてある結果を促す場合に用いられます。始筆の曲がった部分は中山篆特有のものですが、細くなった梢を想起させます。

○「」(㝵・得):「貝」と「又」(ゆう)からなります。財産となる貝を獲得する様をあらわしています。戦果など行きて(赴きて)獲得する場合は「彳」(てき)がついて「得」となります。ここでは「貝」の2本の脚がありませんが、単なる貝の割れ目を表現する上での違いで、中山三器の円壺にある「貯」字にも脚を省略した字例をみることができます。

○「憚」:「はばかる・いむ・おそれる・いかる・おどす」など様々な意をもつ字で、音は「たん・だん・た」。「單」(たん・せん・ぜん)が声符で、「憚々」(たんたん)とは畏れおののく様。続く「々」も同様に畏れる様です。中山王が相邦(家臣の長・相国に同じ)の貯の獅子奮迅の功績を認めながらも、策命を受けようとしないことにもしや国を去るのではないかと危惧している部分です。「憚」の春秋期以前の古い字形を知ることはできず、同戦国期の郭店など楚簡にこの系列の字例を認めるのみです。「單」は羽などの飾りをつけた楯の形です。ところで、春秋晩期の蔡侯匜にある「單」字をみると、この飾りどうしをつなげている部分の形が前回(87)の「懼」の字形に影響を与えているのはほぼ間違いないのではと思われます。

[字通]単  をもとに作成

戦国中山王圓鼎を習う(87)「懼其忽然」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「懼」:「心」と「瞿」(く)からなる字です。「瞿」は鳥が恐れおののいて両目を繁くきょろきょろさせ、周囲を見張る様です。中山三器では「目」の形に5つ、また三器以外の『兆域図』にも別の2パターンがあり、合わせて7通りの表現がありますが(ただし「馬」の頭部に使う「目」形は除く)、「懼」のパターンは唯一この字だけです。両目を束ねた部分が「庸」に含まれる「午」の形と近似していますが、繋げたり束ねたりする字例は他にはなくこの由来は不明です。ただ、春秋晩期の蔡侯匜に出てくる「單」の字形がこの「懼」に大きな影響を与えているように思えます。そのことは次回の(88)「憚」のところで説明したいと思います。なお、表現の変化という点では特に、「」(睿の異体字)において、2つの「目」を形を変えて表現しているところなどに中山篆の自由な装飾的意匠を感じます。また、「心」を含む字はこの後に出てくる「忽」のように偏旁ではなくすべて下に配した構成となります。(方壺に出てくる「忨」(がん)はやや偏旁構成に近い)

 

○「其」:12回目です。横画がほぼ上下中央の位置にするとまとまります。

○「忽」:声符は「」(ふつ)です。この「」を白川静は弓の弦に飾りがついたものか、あるいは弦が断裂したもの、または耜で土を跳ね上げる様などと推定しています。弓は邪悪を祓うときに祭器として用いますが、弦を断ずることから「禁止」の意が付加します。

○「然」:生け贄としての犬肉である「肰」(ぜん・ねん)と「火」とからなる字で、犬肉を焼く様をあらわしています。甲骨文には犬肉を焼いて天神を祀ることが記録されています。