古典の臨書 [1]孔子廟堂碑

古典の臨書     [1]孔子廟堂碑

冒頭の6字

 唐 貞観2~4年(628~630)頃の刻。初唐の三大家の一人、虞世南(558~638)の揮毫および撰文。長安の務本坊(長安城内のほぼ中央)内の国子監(いわゆる国立大学)に孔子廟が修築された際の立碑。碑文は孔子の頌徳とともに、儒教興廃の歴史と孔子廟造築に至る経緯を歴代の経典に精通した難解な文章で綴っている。しかし、原石は貞観年間に火災で失われ、則天武后の時代に重刻されたものの、唐末までに亡佚したといわれている。現在、北宋覆刻の陝西本(西安碑林)と城武本(元1341年に山東出土)がある。
 碑石が存する陝西本によれば、碑の大きさは280×110㎝、碑文は34行、満行で64字。現在、原石が主体と思われる唯一の拓本に三井本(臨川李氏本・三井記念美術館蔵)がある。清の翁方綱は、三井本の題識および『孔子廟堂碑考』の中で、全文2017字のうち原石の拓は1446字で、その他は陝西本の旧拓で補貼した字と後世の描補した字であると、陝西本と城武本を対校しながら詳細に考証している。

 ただ、私が確認してみたところでは、翁方綱の示した数字には疑問の余地がある。実際に三井本で確認できるものは2043字、補填・描補・加描(原刻字を含む)した字は598字であるので、原刻字(儘)は1445字になるかと思う。私の勘違いということもあるので、諸賢のご教正を待ちたいと思う。いずれにしても、およそ71%のみが虞世南の書字ということである。

 孔子廟堂碑について、唐の張懐瓘は『書断』の中で、「虞は則ち内に剛柔を含み、欧(欧陽詢、姓は欧陽)は則ち外に筋骨を露わす。君子は器を蔵し、虞を以て優れりとなす。」と評している。まさに、太宗から虞に5絶(徳行・忠直・博学・文詞・書簡)有りと言わしめた人格に裏打ちされた品格の書といえるだろう。

 さて、これを習う際に留意することは良く原帖を具に観察することはもとよりであるが、多くの描填や泐損(ろくそん)の部分について、碑文中の同字や陝西本、城武本を参照しながら本来の虞姿を追究すること。比較するとわかるのだが、文詞の異同や前後装倒(炎精を精炎に誤る)がある。また、運筆は穏やかにしかも息を長く気脈悠然とすること、筆管を立て力を内包することである。そして何より品を醸し出すよう心静かに紙面に向かいたいものである。

 蛇足を一つ。補填した陝西本からの字は明瞭であるが、結体、書線ともに虞世南の書格に遠く及ばないので、習う際は注意が必要である。そのまま忠実に倣うのはあまり意味がないかもしれない。なお、城武本の方が陝西本よりも優れているとする意見がある。下の臨書例の後に、比較するために自作した資料があるので参考までにご覧いただきたい。

翁方綱「孔子廟堂碑考」碑文冒頭部分

 

 

 

 

 

 

 

臨書例

臨書の際の留意点
孔子廟堂碑4種拓比較