戦国中山王圓鼎を習う(72)「奮桴振鐸」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今) (吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

」(奮):おそらくは「奮」の異体字と思われます。隹の尾を田を貫いて長脚にしている点は、中山国特有の造形です。[字通]には「金文の字形は衣+隹(とり)+田。金文の奪の字形は衣+隹+又(ゆう)(手)の会意字で、両者の字形に通ずるところがある。金文の奮・奪がともに衣に従うのは、哀・衰・褱(かい)(懷)・睘(かん)(還)など、死喪の礼に関する字がみな衣に従うのと同じく、奮・奪も霊の与奪に関する字であり、隹は鳥形霊の観念を示すものとみてよい。奮字の従う田は、舊(旧)字の従う臼とともに、鳥を留めておく器の形と考えられる。これによって留止することを舊という。奮はその留止をしりぞけて奮飛する意。奪は奮飛し奪去することを示す字と考えられる。」とあります。

「桴」:「桴」(ふ・ふう)には「いかだ」の意もありますが、ここでは「枹」(ふ・ほう)と同じで「太鼓のばち」の意です。旁を少し上に上げて木偏の脚を強調させます。

「䢅」(しん)(振):同音の「振」の意で用いています。上部は「臼」を充てていますが、本来は「貴」の貝を除いた部分。この部分は貝をつなげた形である「少」に変わることがあり、中山三器では方壺にある「遺」字にその形を認めることができます。「臼」の中にある鑪錘や線香花火のような部分は、なお不明ですが、神が憑依するための枝「丰」(ほう)の中心部とみる考え方、あるいは実の付いた稲穂、大きくなった根菜の形などとする他、臼を付く形「舂」(しょう)の古い字形に含まれる「午」(杵)とみることもできます。しかし、「少」の一部が残り、「掲げ、奉じる」意を持つものとして定型化したものと推測することもできる気がしています。

「鐸」:声符である「睪」(えき・たく)は獣が屍となって風雨に崩れんとする姿です。「目」の起筆をこのように書くのは「徳」と同じです。