戦国中山王圓鼎を習う(78)「德嘉其力」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今) (吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封疆、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦疆を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)と其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

○「悳」(德):3回目となります。「直」の縦画の位置を「心」の中心に揃えて書きました。ただ、中山三器にみられる「悳」ではその意識はそれほど強くないようです。

○「嘉」:[字通]には、「壴(こ)(鼓)+加。加は力(耜(すき))に祝祷の器((さい))を加え、耜を祓い清める儀礼。それに鼓声を加えて秋の虫害を祓い、穀物の増収を祈る。その礼を嘉という。〔説文〕五上に「美なり」とするが、もと農耕儀礼をいう字であった。同じく丹・靑(青)を加えて力(耜)を清めることを靜(静)といい、その清められた農具で収穫したものを「静嘉」という。」とあります。丹青とは辰砂と靑緑で共に鉱物質で色が褪せることがなく、墓室の防霊や祭器を清めたりする際に使われるものです。下の[金文編](容庚編 中華書局)の「嘉」「静」「男」を列べた資料をご覧ください。耜とされる「力」にあたる部分は、農耕でも特に作溝用の道具で、先が3つの歯に分かれた形状をしています。その耜のそばに、収穫を祈るため祝祷を収める「」を置く形が「加」となります。しかし、「嘉」、「靜」では耜が単独ではなく耜を持つ手(爪)がつく形が多いことがわかると思います。「男」の字でも、1例だけですが、手が入っています。ところで、「嘉」の金文の字例をみるとわかるように、耜の上を握る手が中山篆だけは下の方に移動してしまっていること、「」が耜の上に移って「壴」が「喜」となっていることは他の字例とは異なっています。あえて手(爪)を下に移動させるこの意匠は、中山篆独特の感性であり、柔軟な装飾性であるといえると思います。なお、この部分は「靜」にもありますが、さらに耜の下にも手が添えられ両手で恭しく扱っている様子がうかがえ、「爭」が耜を両手で持つ形であることがわかります。

○「其」:9回目です。横画は概ね全体の縦中央になるように構成して書くとよいでしょう。

○「力」:中山三器では「力」はこの例のみです。高く右上から下ろした線を中央から右に膨らませてから左の方向に遠く放つ筆意です。2画目の歯の部分は縦画が字の中心にくるようにします。「力」(耜)単独で手が添えられない形です。