戦国中山王圓鼎を習う(73)「闢啓封疆」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今) (吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封疆、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦疆を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

」(闢・びゃく):この字形をどのように隷定するか。赤塚忠は「」とし、小南一郎は「」としています。しかし、これは「」とすべきでしょう。中山三器の同要素を含む字を参照すれば自明なことだと思います。同要素を含む字は、「戒・朕・送・棄・與」を挙げることができ、その「廾」(きょう)には2本の横画を添えるのが中山篆の特徴となります。

「啓」:祭壇の扉の中に祝告の器「」(さい)を収めた形の「启」(けい)と木の枝で撃って促す形「攴」(ぼく)からなり、もとは神の啓示をいう字です。「」の上の空間に「攴」の手の部分を押し込むような構成をとっています。

」(封)」:[字通]から引用すると「丰(ほう)+土+寸。金文の字形には、土の部分を田に作るものがある。土は土地神たる社主の形で、社(社)の初文。そこに神霊の憑(よ)る木として社樹を植えた。封建のとき、その儀礼によって封ぜられる。」とあります。この中山篆は土が田に変わったもの、つまり土地神が田神に入れ替わったものとなります。なお、「丰」には肥点がつくのですが、その彫りが浅いために拓影に反映されないことがありますので、注意が必要です。なお、小篆では「寸」となっていますが、金文以前の古い字形は「又」となっています。

「彊」(きょう)(疆):ここでは「さかい・かぎり」の意で用いられていますので、「疆」が正しく、「つよい」意の「彊」は仮借字です。中山三器の方壺には「土」が加えられている字がありそのことが確かめられます。旁がややバランスを崩していますので、中心をとって整えて書くと良いと思います。