戦国中山王圓鼎を習う(85)「老貯奔走」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「老」:3回目です。おいがしら「耂」と「匕」(か)からなります。「耂」は長髪の人の側身形で、「匕」は人偏を逆さまにした形で、屍の形です。既に述べましたが、右の縦画は本来「へ」から続けられるべきものを装飾的に変化させ離しています。

○「貯」:「宁」(ちょ)と「貝」からなる字です。「宁」は甲骨文では

となっていて物を貯蔵するための箱のようなものと考えられます。この字を「貯」と隷定することに関しては、8月25日と26日の2回にわたる拙論「中山三器「貯」字隷定問題」をご参照いただければ幸いです。

○「奔」:「大」に見える部分は「夭」(よう)です。この「夭」は人が手を振り頭を傾けて走る様だったり、身をくねらせて舞う様をあらわしています。下の部分は3つの「山」にみえます。しかし、もとは「止」(足首から下の部分)からなる「歮」(じゅう)で速く走る様をあらわす部分でした。ところが、「卉」(ふん・き)の形をとる部分を[説文]では「」を3つ列べています。これは「止」の形を誤ったものが定着したと思われます。このようにいくつかの混乱が重なっている様子が窺えます。なお、「賁」(ふん)に含まれるものはおそらく「手」であって、「」の字形との関連が推測されます。下に[字通」の「奔」のところを載せておきます。

○「走」:「奔」が足を3つ列べて速く走る様をあらわしているのに対して、「走」の足は一つです。「奔」、「走」いずれも行人偏がつく字例もあります。「夭」には装飾的渦紋がつきます。さて、両字は走る速度だけの違いなのか。白川静は「金文や〔詩、周頌、清廟〕にみえる「奔走」は祭祀用語。趨も儀礼の際の歩きかたをいう。わが国では「わしる」という。」と述べています。