戦国中山王圓鼎を習う(82)「世亡不若」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(世):他の金文にはみられない「歺」(がつ)を含む形をしています。「歺」については前回触れました。「世」は草木の枝葉が分かれ新芽が出ている形で「枼」の形をとる場合もありますが、戦国中山国よりやや遅れる郭店楚簡にもこの「歺」と「枼」(よう)に従う字例があります。

○「亡」:3回目となります。身体を折り曲げられた屍の形です。中央の縦画に腐食などによって肥点に見える拓がありますが、「亡」には肥点はつけません。ただ、下の小さな枠の中に横画を加えることがあります。

○「不」:6回目です。上部に一画加えるタイプです。▽の部分は極力小さめに書きます。中山国よりやや遡る春秋期の王子午鼎や侯馬盟書や、中山篆と類似性がいくつか認められる郭店楚簡には肥点が入っていますが、なぜか中山三器の「不」には入る例がみあたりません。

○「若」(諾):2回目です。若は諾の初文で、「よしとする・ゆるす」の意も有します。諸賢は「赦」の仮借としているようですが、すでに「若」にその意があります。上部の櫛状の部分は、両手を掲げ髪を振り乱す様です。中央に巫女を、左に祝祷を収める器(さい)を配しましたので、均衡を図るために右に光彩を放つ様として良く用いられる2画を加えたものと思われます。