戦国中山王圓鼎を習う(95)「之有若智」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。又工智施。詒死辠之又若、智爲人臣之宜施。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「之」:17回目です。左の2画、付かず離れず一体に書くのはとても難しく、三水の運筆に通じるものがあります。

○「有」:5回目。拓によって脚の方向が微妙に異なっている様にみえるかもしれません。ここに掲げた図は『戦国中山三器銘文図像』に拠って臨書したものです。

○「若」:3回目です。「ゆるす」意です。[字通]には「巫女が両手をあげて舞い、神託を受けようとしてエクスタシーの状態にあることを示す。艸はふりかざしている両手の形。口は(さい)、祝祷を収める器。」とあります。中山篆は本来の頭(頭髪)と両手の部分の形が随分変形しています。あるいは確信的に装飾的表現にしたのかもしれません。なお、容庚編『金文編』では自説を添えて「若」に草を手中する形「芻」(すう)を充てていますが、その自説に配慮してか、巫女が髪を振り乱している豊富な字例を封殺し反映させていません。しかし、「匿」の項ではその字形を「若」として是認しています。これは、後出(後漢)の説文解字を金科玉条とした陥穽(落とし穴)といえそうです。※〔説文〕一下「菜を擇(えら)ぶなり。艸右に從ふ。右は手なり」

「若」 古文字類編と金文編

○「(智)」(知):6回目です。ここでは「知」(しる)意でもちいています。現在の活字形では「干」が省略されていますが、甲骨文では「矢・子・」の構成だったり、戦国期金文では「矢・干・曰」という構成が多かったりしているのがわかります。なお、「矢」の肥点については前回(93)で触れていますが、先ほどの『金文編』には中山三器方壺に字例に肥点が入っています。しかしこれは誤りで、中山三器銘文の「智」にはいずれも肥点を入れません。戦国同期の魚顚匕(魚鼎匕)(※匕は匙(さじ))は中山篆にとても似ているので比較するための図を添えておきます。

「智」 魚顚匙との比較  古文字類編に魚顚匙の図を加えたもの  吳鎮烽:“魚鼎匕”新釋より引用

 

 

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