戦国中山王圓鼎を習う(84)「庸其功吾」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「庸」:2回目です。杵を両手で持つ形の「庚」と土を入れるために囲った柵「用」からなります。いわゆる版築という工法をさすものと想像されます。点画を上部に集め長脚を強調しています。

○「其」:前回に続く11回目となります。

○「工」(功):「工」には2つの系統があるとされています。一つは鍛冶の際に使う台。金文では鉄道のレールの断面形に似たものがそれにあたります。もう一つは巫女が祈祷で舞う際に手で持つ呪具の一種です。これを左手に持つ形が「左」となります。「巫」の字形は甲骨文・金文ともに「」という形になっていますが、白川静はこれを「工」を両手で持つ形としています。しかしながら、他を探しても両手とおぼしきものと認める字例はなく、おそらくは「工」を2つ交叉させたものだと思います。なお、鍛冶台として同類のものに「壬」があり、こちらは中央に肥点をつける場合があります。疎画なので、長尺の中山篆では間延びしてしまいますから上下を少しあけて書きます。

○「」(吾):5回目です。虎頭の部分と魚、各々字形を整え、その上で両者の中心を合わせて書きます。虎頭の「」の下の部分はやや中央に寄せます。

 

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