戦国中山王圓鼎を習う(44)「社禝其庶」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施。非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

」(社):2度目となります。脚を持たない旁は下を空けて偏の脚を引き立てます。

「禝」(稷):旁の「畟」(しょく)は農業の神である田神。稲の形である「禾」は春秋戦国期の楚では「示」と書く例があり上海楚簡に認められます。「田」は鬼神の頭を表していますので、角を出しています。また、旁の足をあらわす「夊」(すい)は「コ」の形が「尸」のように増画して変化することがあります。例えば「夏」の古璽にその例を見ることができます。

「其」:箕の上部のくびれたところは何度書いても難しい部分です。拙臨は籠内を膨らませ過ぎました。

「庶」:崖である厂(かん)によって廟屋としたものが广(げん)です。この2つはよく通用します。「庶」は屋下にて煮炊きをする様です。「廿」の部分の古い字形は横画が左右に出ておらず、鍋などの器と思われます。

 

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