戦国中山王圓鼎を習う(51)「非恁與忠」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「非」:否定の意で用いる字ですが、「不」よりも重いものです。[説文]では飛翔する鳥の羽としていますが、古代の中国では、「非余」あるいは「比余」とは櫛のことを指し、字形は左右に歯のある櫛の形です。上部を長く伸ばしシンメトリックにまとめます。

「恁」:諸賢はこの字に「恁」を充てています。しかし厳密にいうと、旁上部は「壬」とは構造が異なります。既に円鼎にある「任」字については触れています。方壺では「賃」の構造を持つ「」を「任」の仮借字としており、その違いを確認できます。また、この字について古文字研究家の于豪亮(1927—1982 うごうりょう)は「信」(まこと)の異体字ではないかとしています。しかしながら、この説は方壺に「信」とする「」がありますので「信」の意を持つのは良いとしても異体字とする点については無理があるようです。

「與」:「与」の部分は象牙のようなものを2つ組み合わせたものとされています。これに4手が添えられた形が「與」です。下の2手の間にある「二」の部分は、「朕」の字形にもみられるものですが、春秋中期の青銅器、鎛(斉侯鎛)の「與」に(さい)に従う字例があります。

「忠」:2回目です。今回のものは、右に伸びる吹き流しがあるため「中」を少し左に寄せたきらいがありますが、他の字例の通り、縦画を「心」の中心に合わせて書く方が良いと思います。