戦国中山王圓鼎を習う(35)「宜(義)夙夜不」

「宜」(義):廟屋を示す「宀」(べん)と俎(そ・まないた)である「且」(そ)からなっているとされていますが、「且」の古い字形は「宀」には従っていないようです。また、まな板とされているものには2段に分けて祭肉(月または夕)が加えられたものがあります。管見ですが、字形を鑑みるに、まな板とするよりも、祭卓に載せられた大きな肉塊か、あるいはそれを収める器であるような気がします。その肉塊を切り分けている形が「俎」です。一方、羊の肉を鋸のようなもので切って供えるのが「義」で、声義が通じています。中山国の篆書の特徴として、字の底部は長い横画を避けて短くするか、省略します。

「夙」:説文の字形は(夕+丮(けき))。「丮」は物を掲げ奉ずる形ですが、「夕」は甲骨文では月の形に作る一方で、金文では肉の形にもみえます。月の形とすれば、早朝に行う祭祀において残月を拝する意ともとれます。「つとに」「はやい」意はそこから了解できます。この字の拓影に不鮮明なものがありますので、接写画像にて習うことをお薦めします。なお、初形にない「女」が加わっている点については、西周中期以降、例えば青銅器「師酉簋」に認めることができます。上部左の部分は両手をあらわす一部が変化したもので、「夕」を挟んだ右の腕にあたる部分と分断したものと思われます。

「夜」:人の正面形に月を表す「夕」を加えた形。月夜に人影が斜めに伸びた様とされています。実際、金文の字形には「大」の部分が斜めに傾いているものがあります。ちなみに、これと似た字に「亦」があります。「亦」は人の正面形の両脇を示す点が2つ添えられているもので、「夜」はその一方を「夕」(月)に入れ替えたものですが、なぜ、「夜」の字形に脇を示す点を一つ残したのか、あるいはその両者の関係については、金文の一部にその一つの点も省いたものもあり判然としません。

「不」:3度目です。既出の2字は上部に横画を1画添えるものと省いたものの2例でした。中山国の3器に残された「不」は全部で26例ありますが、この横画があるものは18例です。一方、春秋期の「王子午鼎」や「蔡侯器」には中央縦画に肥点を入れる例があり、中山国の器銘にも通用体で記された「兆域圖」の「不」には肥点に換えて短い横画が入っていて当時の書体が影響し合ったり、流行が及んでいたことが窺えます。なお、中山国の篆書では中央の交叉してできる逆三角形の部分は小さくすることが基本です。

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