戦国中山王方壺を習う(71)

「氏(是)ム(以)身蒙   是を(以て)身ら(甲冑を)蒙り、

「氏」(是):2回目です。

「ム」(以):11回目です。

「身」:2回目です。ここでは「みずから」の意となります。

「蒙」:この「蒙」は中山諸器で唯一の字例で、「おおう・こうむる」意で用いています。この字に関して《字通》は冡(モウ)は〔説文〕七下に「覆(おほ)ふなり」とあり、豕(シ)を覆う形であるとするが、冡の上部に角や耳を加えた形が蒙であるから、冡・蒙は繁簡の字とみてよく、蒙は頭部をも含む獣皮の全体象であると説いていて、冡・蒙はもともと同字であるとしています。なお、この字の中央の「」は「冒」の上部にあたる「」(ボウ・モウ)で、「おおう・かぶる」意を持つもの。これが声符となっています。すぐ後ろに続く「甲冑」の「冑」にも身体に被せた姿として登場します。

 

戦国中山王方壺を習う(70)

「ム(以)請(靖)郾(燕)疆   以て燕との疆を靖んぜんと。

「ム」(以):10回目です。

「請」(靖):声符は「青」で「靖」に通仮して、「やすんずる・しずめる」意となります。この字は中山篆で一例のみです。旁が下がっておりやや佇まいが悪い気がします。

「郾」(燕):4回目です。旁の脚部下は拓影では明瞭ではありませんが、接写画像では長く伸びていることが確認できます。

「疆」:耕作地である田の境界や畦(あぜ)の意がある字で、「畺」(キョウ)が初文です。ここでは中山国と隣国燕との境界のことを指しています。弓は距離を測定し定める際に用いるもの。土地神である「土」を加えた「疆」(キョウ)が正字とされますが、金文ではこの「土」を略す例が多く、「強」の異体字「彊」と紛らわしい関係です。事実、中山諸器でみられる5例は「強」とは異なって「境界・区域・かぎり」の意で用いているものの、「土」を入れたものはこの場合の1例のみで、他はすべて略した字形になっています。

 

戦国中山王方壺を習う(69)

「忨(願)(從)在大夫   願わくは、従いて大夫に在り。

「忨」(願):2回目です。音通によって「願」(ねがう)の意となります。ただ、相国(宰相)であった貯が一介の大夫となって従軍する覚悟を謙虚と捉えれば「つつしむ」意をもつ「愿」に通仮するとの説もあり得ることかと思います。

」(從):「从」(ジュウ)は側身形で左向きの2者を列べて前者に従うさまを表す字です。随行して従う場合もあって「辵」(チャク)が付きますが、すでに西周金文から「彳」(テキ)や「止」のみに省略する例が存在します。ここでは秩序を乱した燕国を撃つために従軍する意となります。

「在」:2回目です。

「大夫」:「夫」に付く繰り返し記号(重文号)の位置が下ではなく、中央にあるのは「夫」の構成素となっている「大」を繰り返すことを示しています。つまり、ここでは「大夫」となり、重文号を用いた合文とするわけです。大夫は君主国家を支える支配階級にある貴族の身分呼称で、相国(宰相)である貯が、将軍ではなく、一介の大夫になったつもりで従軍する意志を表した部分となります。読みとしては「願わくは、大夫に在りて従わん」でもよいのかと思います。

戦国中山王方壺を習う(68)

「忍見施(也)(貯)   見るに忍び(ざる)なり。貯、

「忍」:声符は「刄」(ジン)で、「たえる・しのぶ・ゆるす」などの意を持ち、中山諸器では唯一の字例です。

「見」:行為の主となる部位を強調してその意を表す漢字造字法です。見るといういう行為の主となす目を大きく書くにあたって、中山篆では「目」をこのように書きます。これも中山諸器で唯一の字例です。

「施」(也):3回目です。

」(貯):5回目です。「貝」の上にあるのは「用」ではありません。中山篆では「用」とは無縁の「帝」の字形などにあたかも「用」のように右上に横画を増やす特徴があります。そもそも中山篆ではこの方壺に3度登場する「用」には肥点を入れていません。肥点が入るのは、物を収蔵する器を表す「宁」の字形にみられる特徴で周代青銅器に多見できます。詳しくはホームページの『中山篆書法篆刻学術報告交流会』をご参照下さい。

戦国中山王方壺を習う(67)

「同則臣不  (会)同(に歯長せんとす。)則ち臣、(見るに忍び)ざる(なり。)

「同」:2回目です。

「則」:3回目です。この「則」は中山諸器中、方壺のみに6例ありますが、この例のみ「刀」ではなく「刃」にしています。「則」の「刀」を「刃」に替えることは、方壺とほぼ同時期、戦国後期の楚の懐王が鄂君啓に与えた通行証・免税符である「鄂君啓舟節」(B.C.322)にみられるものですが、中山篆ではこの他にも「剌」(ラツ)、「型」、「創」、「解」に認めることができます。

「臣」:4回目です。

「不」:8回目です。

 

 

戦国中山王方壺を習う(66)

「齒(長)(於)(會)   会(同)に歯長せんとす。

「齒」:2回目です。

」(長):2回目です。

」(於):6回目です。

」(會):2回目です。旁は烹飪(ホウジン)や蒸すための器で、その中に水蒸気が籠もる様を「水」で表現しています。しかし「米」のように譌変しています。

戦国中山王方壺を習う(65)

「竝立(於)(世)   並びて世に立ち

 

「竝」:「並」はこの方壺と円壺に1字ずつ出てきます。正面を向いて立つ人「立」が相並ぶ形です。相並ぶ二人が正面形でなく側身形の場合は、左向きが「从」(從)、右向きが「比」で、「幷」(ヘイ)は「从」の躯を繋げた形で円壺に登場します。

「立」:2回目です。世に並立する(並び立つ)という表現について、小南一郎氏の説明を借りれば、「中国東周時代の前半にあたる春秋時代の歴史を記した、編年体の歴史書『春秋』の注釈書『春秋公羊伝』(シュンジュウクヨウデン)の荘公4年に、齊国と紀国との報復事件を述べて「齊紀無説焉、不可以並立乎天下」とあるのに似る。成り上がりの子之が燕君となり、由緒ある中山王と同じく国君として肩を並べるのは嫌だというのである」となります。

」(於):5回目です。

」(世):「世」は草木が芽吹く形。生の勢いを表す字です。一方、「歹」(ガツ)は骨になった屍体の形。これら相反するものを並べて、人の生死という短い時間を超えて永存するもの(永世)を指すものと思われます。この字は、中山三器それぞれ一度ずつ出てきます。

 

戦国中山王方壺を習う(64)

(將)與(吾)君   将に吾が君と

」(將):2回目です。

「與」:2回目です。

」(吾):「虍」と「魚」とからなりますが、何れが声符かは不明です。「吾」は祝祷の器の上に厳重な蓋をする形で、両字の構造には大きな違いがありますが音通しています。中山国の故地は「蒲吾」(ホゴ)で、もと地名を表記する字であったようです。

「君」:2回目です。

 

戦国中山王方壺を習う(63)

「羊(祥)莫大(焉)   (不)祥、焉(これ)より大なるは莫し。

「羊」(祥):これは中山諸器では唯一の字例です。「祥」の省文ともされますが、「祥」の金文の字例は他にはみられず、そもそも羊は神判に用いられる犠牲で、神意に適う場合の「善」に「羊」が含まれるという具合に、「羊」には「よい・めでたい・ただしい」などの意を含んでいます。さて、中山篆の字形は独特な形をしています。これについて、小南一郎氏は「羕」(ヨウ)の形をあてています。しかし、「羕」の他の金文字例と比較するとなお首肯するには至らない気がします。「羊」の下に「示」を配した上で簡略化したように考えることも同様です。したがって、ここでは「羊」の異体字とするにとどめておきます。

「莫」:これも中山諸器で唯一の字例です。深い草むらに日が沈み隠れる形です。声符である「茻」(ボウ・バク)は「莽・葬」にも含まれ、草が茂って暗い様や墓地をあらわしています。ここでは「なし・なかれ」の打ち消しの意で用いられます。

「大」:2回目です。

」(焉):「鳥」と「正」とからなっており、「焉」とされます。しかし、この「焉」は中山篆以外に古い字例がなく、段玉裁の「説文解字注」でも「今未だ何の鳥なるかを審らかにせず」として詳らかにされていません。《字通》では「烏・於が死烏やその羽の象形であることからいえば、焉も呪的に用いる鳥の象形で、そのゆえに疑問詞にも用いるのであろう」としています。

戦国中山王方壺を習う(62)

「臣其宗不   (反って)其の宗を臣とす。不(祥)、

「臣」:3回目です。

「其」:5回目です。

「宗」:2回目です。

「不」:7回目です。