戦国中山王方壺を習う(81)

「君臣之(位)   君臣の位

「君」:5回目です。

「臣」:5回目です。

「之」:10回目です。

」(位):「立」と「胃」からなります。「立」(リツ・リュウ)には「たつ・たてる・のぞむ・つくる」などの他に「くらいにつく」意もあるのですが、「位」(イ)と音通するよう同声の「胃」を含む「」を用いています。中山篆の特徴である渦紋は普通「又(有)・参・虖・身・余・爲」などのように字の外側に向かって開くのですが、ここでは字の内側に向けています。これと同じものは他に「祀」が挙げられます。

戦国中山王方壺を習う(80)

「之(救)述(遂)定   (一夫の)救うも(亡し)。遂に…を定め

「之」:9回目です。

」(救):中山諸器では唯一の字例です。呪霊をもつ獣である「求」に「戈」(ほこ)を加えた形で、「救」に通じています。「救」は呪霊をもつ獣を叩いて他者からの呪詛から救う意の字で、この場合は叩く道具が戈に代わった形です。

「述」(遂):「遂」と声が近い「述」に通仮させています。「述」の「朮」(ジュツ)は「求」と同様に呪霊をもつ獣で、これによって道路の修祓除霊をする様を表した字が「述」となります。なお、「朮」には「おけら」の意もあり、穴の土を手で掻き出す象と見れば、手「又」の間にある2点と下の左右にある2点は掻きだした土片と見ることができます。後に、「深」のところでもその関連に触れます。

「定」:廟屋や家屋を表す「宀」(ベン)と「正」とからなります。方壺のこの字形は「正」の上に横画を増やしていますが、円鼎では増画していません。

戦国中山王方壺を習う(79)

「曾亡(一)夫   曾ち一夫の(救うも)亡し。

「曾」:中山諸器で唯一の字例です。字訓は「かつて・すなわち・なんぞ」など、ここでは「すなわち」です。字形は甑(こしき)を表し、湯気の立ち上る様が「八」となり、これに蓋をしたものが「會」となります。

「亡」:2回目です。前回の「」が「ほろぼす」として用いたのに対し、これは「なし」の意で使っています。

」(一):中山諸器で唯一の字例です。「鼠」(ソ ねずみ)と「一」から構成されますが、この字の他の用例が見当たらず、詳細は明らかではありません。「鼠」の上部は特徴でもある「歯」を強調したものです。「鼠」を含む字は[説文]に19字、[玉篇]に57字、[今昔文字鏡]には異体字を含めて150以上収録されています。

「夫」:先の「大夫」の合文とした字例に続き2回目です。

 

戦国中山王方壺を習う(78)

「邦(亡)身死   邦は亡び身は死し、

「邦」:4回目です。

」(亡):音はブ。[説文]に「撫」の古文として録されている字です。「撫」が「なでる・やすんずる・したがえる」などの意を持つのに対し、ここでは音通によって「ほろぶ」意である「亡」として用いています。「亡」の字形は扇形の内部に一画入るものとそうでないものの2つのパターンがあります。なお、この直後に「亡」字が出てきますが、これは「無」の意で用いています。

「身」:3回目です。

「死」:人の残骨である「歹」(ガツ)とそれを葬り弔う「人」からなる字です。甲骨文の字形では、小さくなった亡骸(歹)を慈しむかのように跪いて見つめる人の姿を認めることができます。

戦国中山王方壺を習う(77)

(顧)逆(順)(故)   逆順を顧み(ず)。故に

」(顧):2回目です。この字形は中山諸器中、方壺にのみ2例出てきます。

「逆」:2回目です。旁の上部は人が向こうから手前にやってくる様を倒形にしたものですから肥点は本来不要で他の金文には見られない中山篆独特の表現です。これも方壺にのみ3例登場します。

」(順):4回目です。「川・心」に従う字形で、川の流れのように沿う心情を指します。

」(故):2回目です。これも「顧・逆」と同様に方壺のみに出てくる字です。方壺の3例いずれもやや字形に整斉性を欠くようです。若干の修正を加えて書いてみました。

戦国中山王方壺を習う(76)

「用(禮)宜(義)不   礼義を用い(ず)、(逆順を顧み)ず。

「用」:2回目です。中山国の相邦(相国に同じ)の名である「貯」の字の上部をこの「用」としている研究者が多いのですが、見ての通り、中山諸器では3例ある「用」にはいずれも肥点を入れていません。両字は似てはいるのですが、「用」は木組みの柵の形、「貯」に含まれる「宁」(チョ)は収蔵するための器です。

」(禮):「豐」と祝禱の器「」(サイ)とからなる字です。おそらく、祭祀に関わることを示す祭卓「示」の代わりに「」を充てた「禮」の異体字と思われます。

「宜」(義):2回目です。

「不」:11回目です。

 

戦国中山王方壺を習う(75)

「君子之不   (新)君の子之と、(禮義を用い)ず、

「君」:4回目です。

「子」:5回目です。

「之」:8回目です。

「不」:10回目です。この字は花の花弁・おしべ・めしべ・花托を支える萼(ガク)の形であるとされています。頭部の一画は甲骨文には見られず、春秋戦国以降になってからその字例が出てきます。中山諸器にも有無2つのパターンがあります。

戦国中山王方壺を習う(74)

「君子徻(噲)新   (故)君の子噲と新(君の)

「君」:3回目です。

「子」:4回目です。

「徻」(噲):2回目です。紀元前316年、第38代の燕王である噲は宰相であった子之に王位を譲ったため国内の反乱を招き荒廃していきました。その機に乗じた斉の宣王によって燕都はあえなく陥落し、先王噲と逃亡した子之は捕らわれて処刑されました。子之の在位は僅か2年で終わることになります。このころ中山国も斉国同様に出兵し、領土を拡げることになります。

「新」:新しい神木を選ぶ際に使う針である「辛」と「木」、そして木を伐るための「斤」からなる字です。伐り取られた木から作られた神位を拝するのが「親」となります。

戦国中山王方壺を習う(73)

「不(順)郾(燕)(故)   不順を(誅す。)  燕の故(君)の子噲と

「不」:9回目です。

」(順):2回目です。

「郾」(燕):5回目です。

」(故):この字は「」(はたがしら)と祝禱の器に「干」(たて)をのせた形「古」とからなる字ですが、音通によって「故」の意で用いています。故君とは先君のことです。

戦国中山王方壺を習う(72)

「幸(甲)冑ム(以)(誅)   甲冑を(蒙り)、以て(不順を)誅す。

「幸」(甲):受刑者に処する手かせの形です。音通によって「甲」の意となります。中山諸器では唯一の字例です。

「冑」:頭に被る飾りがついた兜(かぶと)の形。西周金文には兜の下に目がつく形があります。もともとは「皇」の上部にある玉飾りと同じ形と頭に被る様を表す「」(ボウ)とからなる字であって、下は「月」ではありません。ただ、音であるチュウとの関係は不詳です。「甲冑を蒙る」とは自ら戦に臨むことを指しますが、この表現はこの戦乱に明け暮れた春秋時代の歴史書である『国語』晋語六にもみられます。

「ム」(以):12回目です。

」(誅):木を用いて水銀を薫蒸抽出する様とされる「朱」が声符、「戈」(ほこ)とからなる字で、「誅」に相当します。これも中山諸器で唯一の字例です。燕国を誅伐したことを指しています。