戦国中山王方壺を習う(55)

(侯)齒(長)(於)」   (諸)侯と、(會同)に歯長せんとす。

」(侯):2回目です。

「齒」:甲骨文は口中の歯が並ぶ形となっていましたが、後になって声符である「止」(シ)が加わりました。中山篆では四角い歯の形が並ぶ様が「臼」(キュウ)の形に譌変しています。「歯長」とはもともと「年長」の意ですが、この次に出てくる「会同」を含めた説明を小南一郎氏は「會同は、「周礼」などの言う所によれば、朝覲(チョウキン)が終わったあと、特別の事件があったときだけ、都の郊外に壇を築いて諸侯たちがそこに集合して天子の命令を聴く儀式。歯長とは、そうした会同の場において、それぞれの家柄や職務による順位にしたがってならぶ位置を定めること。」と述べています。諸侯や家臣が並ぶ序列に関する争い事はよくあることで、後世唐代の顔真卿の争坐位稿にまつわる事件もその一つの例です。

」(長):「長」は髪を長く伸ばすことを許された氏族の長老を指します。甲骨文では杖を持つ形、金文ではこの中山篆も含めて、高齢であることを示す「匕」(カ 屍体の形)がつく形があります。「立」は身分を示す「位」の意を持ちます。中山篆ではこの「」の他にも字の一部を「立」に替えたり加えたりした異体字として「創・發・範・踵」など数例見られます。  

」(於):2回目です。

 

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