戦国中山王方壺を習う(59)

「施(也)頁(寡)人非   (順ならざる)なり。寡人(之を)非とす。

「施」(也):2回目です。

「頁」(寡):円鼎では9回出てくるものの方鼎ではこの1回のみです。「寡」(カ)は廟所である「宀」(ベン)と「頁」(ケツ)からなりますが、「宀」を略した「頁」と通仮させています。「頁」の字形は頭部あるいは顔の部分を強調した祭祀の際に呪飾を施した人の姿です。その礼容を示すためなのか、中央に光彩を放つように配された4つの画は「光」字の場合と同様に装飾的に増画したものと思われます。別の可能性としては、「あらう・きよめる」意をもつ「沬」(ビ・マイ・バイ)の初文にあたる「」の金文が盥(たらい)の水を頭の上からかけて洗い清める姿をしていて、周囲に飛び散る水滴を4点で表現しているのですが、これを一緒に切り取ったのかもしれません。

「人」:2回目です。

「非」:左右に歯がついた櫛の形。西周の《内史友鼎》(殷周金文集成2696 「友」は異体字)に賜物の櫛として「非余」という語がでてきます。ここでは否定の意となりますが、仮借によるものです。「不・丕・否・匪」などは皆「ヒ」の音をもっていて本来の字源から離れて否定の意で用いるようになりました。