戦国中山王方壺を習う(44)

「徻(噲)不(顧)大」  (子)噲の、大(義)を顧みず、

「徻」(噲):燕王の子噲(シカイ)は《孟子》《戦国策》《史記》などの文献資料は全て「噲」の字が使われていると小南一郎氏は述べています。ここでは家の高い様で「噲」(クワイ)と音が近い「徻」(ワイ・エ)を用いています。なお、方壺でのこの後出および円壺には「辶」と「會」とからなる字を「會」として使っていますが、それは用いずあえて「止」を除いた「徻」を用いて区別したと考えられます。

ちなみに、「會」は蒸し器の形で、器の中の穀類や水蒸気の表現に様々なパターンがあることがわかります。中山篆は同じく戦国前期の「□(驫+厂)羌鐘(ヒョウキョウショウ)」(泉屋博古館蔵)にみられる、水蒸気を「水」の形で表現したものに変化が加わったものであることがわかります。

「會」 金文編

「不」:4回目です。

」(顧):「顧」の「雇」(コ)は神廟の扉の前で鳥占(とりうら)を行って神意を諮る様を表す字なので、「鳥」に替えた構成にしています。このような全形にした鳥偏は「於・焉」にもみられます。なお、「」は国字の「いすか」(鳥の名)と同形です。

「大」:人の正面の姿に象った字です。両腕を下げすぎないよう、また両脚の分岐点はほぼ中央にして書きます。