戦国中山王方壺を習う(52)

(使)(上)勤(覲)(於)」   (将に)上をして(天子の廟)に覲せしめ、

」(使):3回目です。ここは使役の動詞としての用法と考えられます。

」(上):「尚」と「上」は同音で通じ合う関係で、合文のように構成された形です。この部分は識者の間で解釈に意見の相違がみられますが、ここではこの後に出てくる文と対句的な関係にあるとみて「上」(かみ)の意としておきます。なお、同器方壺には「上」や「尚」をそれぞれ通常の字形で表したものがあり、何故ここだけ合文の様な字形を使ったのか、なにか意図があるのではないか感じてしまいます。また、この後には趣が異なる倉卒な刻の同字がみられます。そのまるで慌てているかのような仕事にも背景に特別な事情があったことを窺わせます。

「勤」(覲):「」(キン)と「力」(耒 すき)からなる字。朝見の意を持つ「覲」(キン まみえる)に通仮させています。なお、「勤」の字形は小篆でも「」の下部は「土」になっていますが、元は「」(カン)と「火」からなり、頭に祝祷の器を載せ後ろ手に縛られた巫女が焚かれている様です。

」(於):「於」は主に烏による鳥害を避けるためにその屍体を架けて晒した形とされていますが、中山篆は「烏」ではなく「鳥」の形にしています。晒され羽根が開いた一部が「人」に変化した姿がこの中山篆に残っています。ちなみに、「烏」が「鳥」よりも一画少ないのは目の部分にあたりますが、黒い体で目の位置がわかりにくいことをあらわしています。