戦国中山王方壺を習う(46)

(侯)而臣宗」  (諸)侯に(求めず)して、臣と宗と(位を易うるに遭う。)

」(侯):邪気を祓うため屋下もしくは崖下に矢を射る儀を表す字。辺境の地を祓禳する役目を担うのが「侯」です。崖上に人が立つ形「矦」は戦国期、雲夢から出土した簡牘に見られるようになりますが、甲骨文など古い字形はすべてこの「」の形です。後に、この「侯」が爵号に用いられる様になったため新たに作られたのが「候」で「侯」に人偏を加え「うかがいみる」意を継承しています。ちなみに、崖下ではなく秘匿の場所を示す「匚」(ケイ)に呪具としての矢を置く形は「医」(エイ)です。

「而」:2回目です。

「臣」:大きく見開いて見上げた目の形。金文には瞳を示す一点を加える形もあります。《字通》によれば「金文にみえる小臣は王族出自の者で、聖職に従い、臣を統轄する。臣は多く神事に従い、もと異族犠牲や神の徒隷たる者を意味した。宮廟につかえる者を臣工といい、〔詩、周頌〕に〔臣工〕の一篇がある。金文の賜与に「臣三品」のようにいうのは、出自の異なる者三種をいう。また「臣十家」のようにいうのは、一般の徒隷と異なるものであろう。のち出自や身分に関することなく、他に服事するものをいう。」とあります。「臣」が表す目に針を刺したのが「民」でともに神への奉仕者として捧げられるものでした。

「宗」:廟屋を表す「宀」(ベン)と祭卓からなり、宗廟や祀られたみたまやを指します。祭卓の脚を一本にするのは古く甲骨文より見られる形です。中山篆ではそこに肥点が加わります。

 

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