戦国中山王方壺を習う(99)

(哉)若言明   (允なる)哉、若の言。明らかに

」(哉):この形は呪飾の糸飾り「」(シ)と祝祷の器を架けた形「才」とからなります。一方、通仮させている「哉」は「才・戈・」からなります。おそらく、この字は糸飾りをつけた「戈」(つまり「幾」)と「才」を組み合わせたもので「幾」の「戈」を略して「」をあてたものと思われます。「」も略していますが、既に「才」の中に含まれています。

「若」:上部は両手をかざす様で、活字の草冠の部分にあたります。脇に祝祷の器を供え、神からの託宣を承けようとして舞う巫女の姿をあらわす字です。右側の2画について、甲骨文には異様な雰囲気の中で狂おしく、また激しく舞う巫女から飛び散る汗か、妖気の様なものを加えている字例があり、その類による修飾かと思われます。

「言」:墨刑に用いる針である「辛」と盟誓のことばを収める「」とからなります。「言」とはその盟誓の辞のことです。その審理を神に諮り、その結果として神判が下されたものを「音」といい、その時に生じる幽かなる音や気配が訪れることを「音なひ(訪ひ)」といいます。

「明」:2回目です。西周金文では「窗」(窓)の形をとっている部分を中山篆では「日」にしています。実は甲骨文の「明」に「月」と組み合わせる「窓・日・曰(エツ)」の3つのパターンが存在しています。

 

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