戦国中山王方壺を習う(98)

(附)(於)虖(乎)(允)   (庶民は)附す。於乎、允なる

」(附):「付」は手に持ったものを人に渡し与える象ですが、西周金文の字例をみると「寸」ではなく「又」(手)に従っているようです。「寸」単字での古い用例は楚簡を遡る字例は見当たりません。「寸」を構成素とした字でも、例えば「寺・尃・射・尊・對・導・得」など小篆以降に「寸」とした字は多くの場合、古い字形は「又」(手)に従っているのです。戦国の中山篆での他の例では、この他に「封・得・傳」が該当しています。声符「付」には付与、付加の意がありますが、ここに「臣」を加えて「したがう」意を持つ「附」に通仮させています。

」(於):7回目です。

「虖」(乎):虎頭の形と「乎」からなります。「乎」は振ると音が出る神事に用いた鳴子板で、板上にある左右の遊舌の部分を渦紋に変えています。白川静氏によれば虎頭に従う字は神事に関するものが多いとされます。また、「於乎」で感歎辞「ああ」とするのは《詩経》大雅などにみられる用法であると小南一郎氏は述べています。

」(允):中山諸器では唯一の字例で、後ろ手に縛られた罪人の姿とされるこの字は声は「イン」、「まことに」の義を持ちます。「允」の下に「女」を加える形はすでに西周の孟姫簋に登場しますが、後に楚簡に頻出するものです。