戦国中山王方壺を習う(112)

「亡彊(疆)   疆り亡からんことを。

「亡」:3回目です。拓によっては縦画に肥点があるように見えるものがありますが、他の字例ではほぼ全て肥点がないといえます。造形的には中山篆特有の表現に通じて違和感はないのですが、器面の接写画像によると、明確に存在が確認できるかどうかは微妙といったところです。ここでは「なし」の義となります。

「彊」:2回目です。「かぎり・さかい」の意の場合は「疆」とするべきですが、共に境界の意として、(70)では「土」が旁の下に付け加えられているのに対し、(84)では「強」の意になる「土」を略した「彊」にしています。これも中山篆の選字の際にみられる音通による鷹揚性でしょうか。

中山方壺銘文考観(完)

戦国中山王方壺を習う(111)

「其永保用   其れ永く保ちて、用って

「其」:9回目です。

「永」:水脈が合わさるところの形です。この左右対称の反文にしたのが、逆に流れが分岐する様をあらわす「」となります。ただ、甲骨文をみると、川の合流点のものと道の交差点の2つのものがあり、川の場合は、水を示すいくつかの点が添えられ区別しているようにも見えます。

「保」:[説文]古文にある形に拠る字形です。「俘」に近いものですが、生まれたばかりの「子」に霊衣として褓(むつき)が添えられているかどうかの違いがあります。この「保」を「寶」の仮借とする説もありますが、貴重なものとして永く「たもつ」と解釈して差し支えないと思います。

「用」:3回目です。金文での慣用表現で「もって」と釈きます。

 

戦国中山王方壺を習う(110)

「子孫之孫   (子の)子、孫の孫、

「子」:8回目です。

「孫」:2回目です。糸かせの端を結ぶ形にしないのは既に甲骨文にみられます。西周金文では「糸」の下部にあたるとじ目のある形が多くなりますが、この中山諸器の様に戦国期になると再びそれを省くものが、金文・楚簡などで主流となります。

「之」:16回目です。

「孫」:3回目です。

戦国中山王方壺を習う(109)

「可(長)子之   (隹れ義は)長かるべし。子の(子)、

「可」:3回目です。

」(長):中山篆では同じ「長」でも意味の違いを補足する別の構成素を加え書き分けています。この方壺では少長の意で使うときに「」、長久の意で使うときは「」にしています。なお、「」の「長」の部分には屍体である「匕」(カ)を入れていますが、「」の場合は省略しています。長久の「」は中山諸器でこれが唯一の用例となります。

「子」:7回目です。

「之」:15回目です。

戦国中山王方壺を習う(108)

(附)民隹宜(義)   (隹れ徳は)民を附さしめ、隹れ義は

」(附):2回目です。

「民」:3回目です。円壺には目の内部に2点を加えたり肥点を逆V字形にした異体字例があります。目の内部に中山篆の「母」のように2点加えるのは三国時代魏の三体石経にも共通するものです。

「隹」:7回目です。

「宜」(義):3回目です。両脚尾が短い拓がありますが、線の彫りが浅いためで接写画像では他の字と同様に延伸が確認できます。なお、円壺では高く盛られた肉(肉月)が一つのみの簡略体となっています。

戦国中山王方壺を習う(107)

「嗣王隹悳   嗣王を(戒む)。隹れ德

 

「嗣」:3回目です。円壺にはこの字の「冊」の部分を両手「共」に替えた略体があります。

「王」:6回目です。

「隹」:6回目です。

「悳」(德):2回目です。

戦国中山王方壺を習う(106)

(簡)(策)ム(以)戒   (之れを)簡策に(載せ)、以て(嗣王を)戒む。

」(簡):「竹」と「外」とからなりますが、[説文解字注]では「閒」の古文として「門」と「外」からなる字例を挙げられていて、特に「卜」(ボク)の部分は中山方壺のこの字形に近いものです。更に戦国期《曾姫無卹壺》(ソキムジュツコ)に「門・夕・刀」からなる例があります。「刀」はおそらく「卜」の譌変であって、結局この「」は「簡」に通仮すると判断できます。ちなみに、[説文解字注]の古文に関して、「外」の部分を「人・卜」としている版本があり、《字通》《字統》などをはじめ多くの識者が採用しています。しかし、《經韵樓藏原版》には「人+卜」ではなく「夕+卜」形となっていることがはっきりと確認できます。これはいわゆる翻刻本とされる《保息局本》との間には異同があることの一例となります。

」(策):2回目です。「簡策」とは竹簡などの書物のことを指します。

「ム」(以):13回目です。

「戒」:「戈」(カ)と両手を表す「廾」(キョウ)とからなる字です。左右の手の間に「二」を挟むのは中山篆ではほぼ定型化しており「朕・棄・與・彝」などの字で見ることができます。

戦国中山王方壺を習う(105)

「生福(載)之   福を生む、と。之れを(簡策に)載せ

「生」:2回目です。

「福」:声符の「畐」(フク)は「みちる」意をもちます。甲骨文・金文ともに下部の膨らみを強調した器形で、酒樽の類と思われます。

」(載):2回目です。

「之」:14回目です。

戦国中山王方壺を習う(104)

「生禍隹(順)   (隹れ逆は)禍を生み、隹れ順は

「生」:土から草が生え出ずる様を表した字です。

「禍」:声符の「咼」(カ)は残骨「冎」(カ)と祝禱の器からなり、屍体に留まる霊による呪詛の形。「示」は神事に用いる祭卓です。中山諸器では唯一の字例となります。残骨「冎」になお肉が残っている様が「骨」で、他にも残骨を表す字に「死」の「歹」(ガツ)、頭骨に髪が残った「列」の「」(レツ)、屈葬の「亡」に関連したものでは、残骨の表現に違いがある「乏」や髪を残した「巟」(コウ)があります。

「隹」:5回目です。

」(順):5回目です。

戦国中山王方壺を習う(103)

(後)嗣隹逆   後嗣に(告ぐ)、隹れ逆

」(後):「後」の繁体で、進退を表す「辵」(チャク)、祭祀の呪具で糸束を捻って結んだ「幺」(ヨウ)、祭器を供え祝詞を奏して神霊が降りる象である「各」とからなります。ちなみに「幺」を盛器である「 」の略体「日」に替えたものは「退」で、神に供えたものをさげる意をもちます。

「嗣」:2回目です。

「隹」:4回目です。

「逆」:3回目です。