「才(在)(得)孯(賢)其」 (務ること)賢を得るに在り。其の
「才」(在):方壺では既に「才+士」の構成による「在」が2例出ているのですが、ここでは「才」を「在」に通仮させています。「才」は祝禱の際に祝詞を入れる器「」(サイ)を括り付けた標木です。なお、「在」は「才」と「土」からなるとする[説文]は誤りで、鉞の形である「士」とするのが正しい。鉞の形である「士」と「王」はともに身分象徴として用います。
「」(得):2回目です。
「孯」(賢):4回目です。
「其」:8回目です。
「才(在)(得)孯(賢)其」 (務ること)賢を得るに在り。其の
「才」(在):方壺では既に「才+士」の構成による「在」が2例出ているのですが、ここでは「才」を「在」に通仮させています。「才」は祝禱の際に祝詞を入れる器「」(サイ)を括り付けた標木です。なお、「在」は「才」と「土」からなるとする[説文]は誤りで、鉞の形である「士」とするのが正しい。鉞の形である「士」と「王」はともに身分象徴として用います。
「」(得):2回目です。
「孯」(賢):4回目です。
「其」:8回目です。
「之聖王敄(務)」 (夫れ古の)聖王は務ること
「之」:12回目です。
「聖」:「耳」と祝禱の器「」と地に挺立する形「」(テイ)からなる字です。中山諸器では唯一の字例です。祝禱に対し、神から啓示の声を聞き分ける者を「聖」といいます。
「王」:5回目です。
「敄」(務):矛を携えて赴く様とされる「敄」(ボウ)が声符です。「務」はその努める様です。ただ、「敄」の字形を見ると「矛」の部分は鎧のように身につけているようにもとれます。[金文編]で「矛」を含む字(敄・遹・茅)を列べて比較するとその形状に複数の型があり、中山篆はその中でも異色の存在であることがわかります。
「(皆)賀夫古」 (諸侯も)皆な賀す。夫れ古の
「」(皆):[説文]の字形は「比」と「白」からなりますが、金文などの古い字形は人が並ぶ形「从」(ジュウ)と祝祷の器「曰」(エツ)とからなります。祝祷によって多くの霊が降臨することを表す字です。戦国中期で楚国の陵墓であった郭店などから出土した楚簡にこの構成による字例があります。ただ、音の関係については詳らかではないようです。
「賀」:「加」と「貝」とからなります。《字通》には「加は力(耜(すき))を祓い清めてその生産力を刺激する儀礼。貝は魂振り、生産力を刺激する呪器」とあります。中山諸器では唯一の字例です。
「夫」:3回目です。
「古」:聖器である干(盾)「十」を祝祷の器「」の上に載せて護る形の字です。中山諸器では唯一の字例です。なお、中山篆では「」を「日」のように一画増やすことがあり、「否・告・舎・啇」などがその例です。
「中(仲)父者(諸)(侯)」 仲父を(策賞せしむ。)諸侯も(皆な賀す。)
「中」(仲):2回目です。「中」は軍の本陣(中軍)に立てる旗竿の形で、円鼎に1例、方壺に3例ありますが、吹き流しがないのはこの例のみです。
「父」:斧や鉞(まさかり)の刃の部分を手で持つ形です。中山諸器では唯一の字例となります。「仲父」(チュウホ)とは功臣に対する尊称です。ここでは相邦(相國)である貯のことを指しています。
「者」(諸):3回目です。
「」(侯):3回目です。
「其老(策)賞」 其の老を(して仲父を)策賞(せしめ、)
「其」:7回目です。
「老」:長髪の人の側身形である「耂」(おいがしら)と屍体である「」(カ)からなる字です。本来は首から脚にかけて連続する線が、中山篆では分割された形になっています。
「」(策):「」(セキ)は「木をさく・ときほぐす」などの意をもつ「析」に同じ。声が近い「」を「策」として音通させています。「策」は策命つまり詔書として命ずることです。
「賞」:声符は「尚」と「商」の2系があって、西周金文では「商」に従うものが主です。この「賞」は「貝」の脚部が省略されていますが、「貯」も円壺では同様に略しています。もともと「貝」の古い字形に2脚はなく、この脚をつけると「鼎」の形に酷似してしまうのです。「則」の偏は正しくは「貝」ではなく「鼎」であることもその一例です。このあたりの事情を理解すると脚を省いた「貝」が「目」と捉えられることはないでしょう。
「其又(有)勛(勲)(使)」 其の勲(有るを忘れず)、(其の老を)して
「其」:7回目です。
「又」(有):6回目です。
「勛」(勲):「勛」(クン)は「勲」の古文で、円形の鼎と力とからなる会意字。力を尽くした功績に対しての賞勲を指しています。一方、「勲」の字形はもとは糸束を火によって薫染する様である「熏」(クン)と「力」からなっています。
「」(使):4回目です。ここでは使役動詞として使われています。字形が歪んでいますので修正を施しました。
「天子不忘」 天子は(其の勲有るを)忘れず
「天」:4回目です。
「子」:6回目です。
「不」:12回目です。上部の一画を省略することもありますが、方壺では12例中1例のみです。ちなみに円鼎は8例中3例、円壺は6例中4例となり、有無に厳恪性がないことがわかります。
「忘」:死者の屈肢の形「亡」が声符になる字です。「亡」の「人」形の下に一画加えるものもあり、円壺にその字例が認められます。
「(創)(闢)(封)彊(疆)」 封疆を創闢す。
「」(創):「創」が傷の意ではなく、創始の意である場合の初文は「剏」(ソウ)になります。「剏」は鋳型に刃を入れて解体し完成した鋳造器を初めて取り出す様を表す字で、「立」の意を持つものですから、鋳型の「井」に替えて「立」を構成素とするのは理に適うといえます。
「」(闢):3回目です。
「」(封):「封」は草木の盛んに茂るさまや収穫した穀物の撓わな様である「」(ホウ)と土地の神「土」と手を使う行為を示す「寸」とからなりますが、ここでは「土」に替えて「田」、「寸」ではなく「又」(右手)とした形となっています。
「彊」(疆):2回目です。「彊・疆」はもと同じ字で、金文の字例では「土」を入れたり省略したりしています。「疆」は一般的に田のくぎりや国の境を表すものとして扱いますが、「彊」では「境界」の他、「強」などの意を持ちます。「封疆」とは封土の境界という意です。
「休又(有)成工(功)」 休くも成功を有ち
「休」:軍門とした標木とそこで軍功を表される人とからなる字で、「さいわい・めでたい・やむ・さかん・やすらか」など多くの意を持ちます。ここでは「めでたくも」の意となります。
「又」(有):5回目です。本来は右手の象ですが、金文では左右の「右」、有無の「有」、保有・敷有の「有」、佑助(たすける)の「佑」、侑薦(すすめる)の「侑」に用います。後に左右の「右」としては使われなくなります。中山篆では左右の「右」には「」(サイ)を加え、有無と保有の「有」には渦紋を加えていて「又」のみの字例は使っていないようです。
「成」:2回目です。
「工」(功):これも2回目となります。
「上下之軆(體)」 上下の體を(定め)
「上」:2回目です。方壺では、諸侯が周王に朝見することをさす「上覲」(ジョウキン)の「上」の場合に「」を用いて尊意を示す字例もあります。
「下」:2回目です。
「之」:11回目です。
「軆」(體):「體」は「体」の旧字で、「軆」はその異体字です。ここでは「体制」の意となります。君臣の位階と上下の関係を整えた体制を定めると述べています。