《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走不命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、又工智施。詒死辠之又若、智爲人臣之宜施。》
《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》
○「施」(也):3回目。この字は李学勤が比定した「旃」(せん)を白川静(1910~2006)も承け、赤塚忠(1913~1983)は「□」(えん)とする一方で、朱徳熙(1920~1992)、裘錫圭(1935~)、張守中、小南一郎(1942~)らは「施」としています。「旃」を構成する丹に似たものはもと「冉」(ぜん)で、その古い字例にこの形に関連するものは見いだせません。張守中がいうように、これは「它」(た・だ)の変形したもので、楚簡にその原型らしきものが認められます。ただ、中山三器の方壺には「陀」字があって、その形は「它」本来の形が保たれており、円壺の「施」の「它」とする考えに抗うようにもとれます。しかし、別器でもあり、なお中山篆の鷹揚な造字感覚を以てしてあり得ることではあります。ちなみに、『金文編』は朱裘両氏の説を付けながらも、不明な字として巻末にまとめています。
○「詒」:音は「たい」、義はここでは「おくる」です。「台」は耜(すき)「ム」(し)と祝禱を納める器「」(さい)からなり、呪具を用いて何かを神に伝えることで、そこから「おくる」意が生まれます。相邦である貯の功績や明智に対し、三代に亘って死罪を免除するという特権を贈ることを述べているところとなります。「台」の「ム」の終画を左上に引いている拓がありますが、この部分は器面が銹(さび)や腐蝕によって傷ついており、鮮明でないところを塡墨して筆画を作っていると思われ、やはり他の字例の通り左下に向かって終わるべきです。
○「死」:2回目です。残骨の形である「歺」(歹 がつ)とそれを弔う人からなる字です。「死」には異体字がいくつも存在していますが、中山篆研究の第一人者である張守中氏は著書『中山王器文字編』の中で、兆域図にある下の字を「死」として編入しています。これは説文古文との関連があるもので活字では「」と表記されているものの系統と思われます。また、この字形は「夢」の甲骨文に床形とともに含まれる、眉飾か角がある人形(ひとがた)を想起させます。これを夢魔を祓う巫女とする説があるのですが、この「死」の異体字をみると、夢魔そのものとも思えてきます。
○「辠」(罪):「自」と「辛」とからなる字。鼻に入れ墨を施す刑罰をさす字です。[説文解字]には「罪」と「辠」、異なる構造による2つの小篆があげられています。「辛」には肥点が入ります。この肥点はかなり小さめなので拓影にはっきりと出ない場合がありますので注意が必要です。