《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走不命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》
《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》
○「」(謀):「母」と「心」から構成されています。「母」の音(ぼ・も)と「謀」の音(ぼう・む)は近いため通用していたと思われます。「母」の縦画は最後を「心」の画の間に入れるため、やや左に寄せた位置から書き始めます。
○「」(慮):2回目です。「呂」は青銅器を鋳造するための銅塊が2つ並んだ形で、古い字形には2つを繋ぐ線はありませんでした。「心」がそれらの脇をきゅっと締めるようにして書きます。
○「」(皆):字形の構造は「虍」と「歺」(歹)と「曰」からなっています。活字に隷定する場合は、「虎」と「曰」による構成では不十分だと思います。赤塚忠氏によれば、秦始皇二十六年詔版の残片では、他の詔版が
の様にしているのに対し
としているとのことです。一般的に公開されている拓や私蔵の拓を確認したところ、すべて標準的なもので、ついにその残片の字例を確認することは適いませんでしたが、甲骨文編にこれと近似した字を認めることができます。しかし、残念ながらこの字についての詳細は不明なままです。
○「」(從):2回目です。「从」の終筆が細く拓にあらわれていない場合がありますが、「止」に接する位置まで伸びています。