《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走不命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。皆、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》
《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》
○「以」:8回目です。上部右に膨らんだ位置と書き終える最後の位置が概ね揃うようにしてまとめます。
○「頁々」(寡人):「寡人」とは「わたし」という意。王侯が自称するときの語で、この銘文を起草した中山王のことを指しています。(77)までは「寡人」と2字刻していたのに、(86)から「寡」に重文のように踊り字(二の字点)をつけて「寡人」と読ませています。原字「頁」の字形は首から上の頭部を強調したものですが、その頭を除いた部分はまた「人」の字形と見えなくもありません。そのため、その「人」を繰り返せばよいと考えたのでしょう。中山国人の柔軟な思考力に感心させられます。これに似た例は他にも中山三器の方壺に「夫」字の右脇に二の字点をつけ、「大夫」と読ませるものなどがあります。なお、赤塚忠の当該研究は大変優れたもので、裨益するところ極めて大きいのですが、解読に用いた拓は質が良くありませんでした。そのためにいくつか誤った解釈がみられます。ここでも二の字点が拓に写し取れていないために解読に行き詰まり、銘の不備との言及をしているのです。まさか踊り字によって、「寡」の「人」に見えなくもない下部を繰り返させて「寡人」と読ませるとは。赤塚氏も想像だにしなかったに違いありません。また、このことは金石研究には良質の資料が欠かせないということを示しています。下の部分は最後の長脚が中心から離れないよう、やや左に寄せて書きます。
○「許」:声符で杵の形である「午」には(ご・ぎょ)の音があります。「許」とは呪器としての杵を祀ることで神から示される許諾をいいます。言偏の▽部を小さく、肥点は高さ中央付近に配します。
○「之」:16回目です。