戦国中山王圓鼎を習う(81)「死罪及參」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「死」:人の残骨である「歺」(がつ・さつ)とその残骨を拝して弔っている「人」からなる字です。中山三器では「世」も「 」という具合に「歺」を含む形をとっています。この他、「歺」を含む字としては「粲」(さん)など「」(さん・残骨を取る形)を含む一系や「残」(ざん・戔は戈を交えて多く命を失う様)、「殉」(じゅん・死を以てしたがう意)、「殆」(たい・危害がちかづく意)などがあります。ただし、同じ「歺」を含むものでも「列」の場合は本来「」(れつ・髪の残った頭骨)とするのが正しい字です。さらに、残骨をあらわす字としては「冎」(か・上体の残骨)があり、それを構成素としているのが「骨」(胸骨より上の部分)や「咼」(か・祝祷を収める器(さい)が冎に加わったもの)の一系があります。

○「辠」(罪):「罪」の正字は「辠」(ざい)です。「自」は鼻、「辛」は入れ墨用の針。鼻に入れ墨を加える刑をあらわしています。「辛」には肥点が入ります。なお、「罪」は元々は「魚を獲る櫛状の竹の網」のことでしたが、秦の文字統一の際に「辠」に替えたものです。

○「及」:「人」と「又」からなり、後ろから伸ばした手が前の人に及ぶ様です。理由はよくわからないのですが、「攴」の形に影響を受けているのかのように中山篆は1画多くなっています。その字形は、ほぼ期を一にする侯馬盟書と同じもので、その後も郭店楚簡などに継承されていきます。

○「參」:2回目となります。本来は三本の玉のついた簪(かんざし)である「厽」(るい)と、人の側身形、さらに光彩ある様である「彡」(さん)からなり、簪で飾られた人のあでやかな様をあらわす字です。簪の実際の本数は3本なのか沢山であるかはわかりませんが、字形が3本になっていることから、この字を数詞の3に用いるようになりました。中山篆では簪が星型に変わり(この形が秦篆(説文)に反映されることになります)、人体は一本の縦曲線に、光彩の「彡」は渦紋に変化しています。なお、中山三器には「㐱」を含む「戮」(りく)が出てきますが、そこでは渦紋とはせず、  のように「ノ」を用いた表現になっていて、光彩を放つ様が「ノ」であったり渦紋であったりして造字上の装飾に鷹揚性があることがわかります。