戦国中山王圓鼎を習う(74)「方數百里」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今) (吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封疆、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦疆を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「方」:3回目です。垂直な縦画と水平な横画の緊張感によって下部の斜画とのバランスを保っています。

」(數):前後の文意から「数」の意とされていて其の字を充てています。しかしながら、字形は「数」の構成素とされている「婁」とは一見異なるもので、両手の「」(きょく)と、「解」に含まれるものと同形の「角」、そして「言」からなるようにみえます。于豪亮は上部は「解」の省略体で、音符「角」が「数」の音に転じたとしていますが、なお、解明には遠い気がします。そこで、中山器の「覆」をはじめ、「要」の金文、「遷」の古陶文にその類似形が認められることから、ここでは「襾」(か)の小篆体に拠る「」も加えて隷定してみました。

「百」:[説文]の古文にこの字形が掲載されています。本来、「百」は音をあらわす「白」の上に「一」をつけたものですが、ここでは「白」ではなく「自」となっています。中山篆の装飾的増画とみてよいと思います。ちなみに、中山以前の金文は皆、上の横画が其の下の部分とついていて塞いでいるかのようです。現在の活字体の字形は小篆と同様に離れていますが、中山篆が長尺にするために加えた装飾表現が関係している気がします。なお、中山三器の円鼎に「全」の形をしたものを「百」の意と解している点については未だ解決に至っていない問題の一つです。

「里」:「田」と「土」からなりますが、音の説明がつきません。白川静は「吏」との語源的な関係を示唆しています。「田」をコンパクトにして「土」を引き伸ばす構成をとっています。