戦国中山王圓鼎を習う(64)「卲考成王」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

 

「卲」:声符である「召」は神霊に祈って招くことをいい、それを拝する姿が「卩」(せつ)で、霊威が現れて明らかな意となります。、もとは「昭」と同字です。

「考」:3回目となります。各線のベクトルの調和が美しい造形です。

「成」:2回目です。戈(ほこ)が鋳造され仕上がったときに飾りがつけられた姿です。その飾りの上部に肥点があります。そのやや下に器面の傷みがあって肥点のようにみえますので注意が必要です。

「王」:4回目です。前回触れたばかりですのでそちらを参照してください。

 

戦国中山王圓鼎を習う(63)「先祖桓王」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

 

「先」:2回目です。人の上に主体となる行為を示す足を加えて強調し、「先に行く」ことを表しています。

「祖」:「且」(そ)が声符となります。この「且」は祭祀の際に供える肉を切るためのまな板です。郭沫若はこれを男根としていますが、あまりにも唐突な奇説にすぎます。金文では「且」単字に「又」を加える字例が西周中期の[師虎簋]、[白觶](はくし、觶は飲酒用のカップ)などいくつかありますが、「祖」でも「且」を奉じる手が添えられるものがこの中山国篆書以外でも戦国早期の[陳逆簋]にみられます。なお、「且」の外に「」がつく理由は、構成素が「且」ではなく「俎」を用いているものと考えることができます。「俎」の金文には台脚らしき突起があり、それが変化し、「且」の内部の2画もそれと連動して統一させているものと思われます。

」(桓):声符が「亘」(かん)で「桓」の仮借字です。中山国の先王の一人を指していて文献では「桓王」となっています。どちらが正しいのかを確かめる術を持っていないのが残念です。「亘」の部分は春秋晩期の[洹子孟姜壺]と似た形をしています。中央の横画を2本にしたのは間延びするのを防ぐためと思われます。

「王」:3回目。王の象徴として祭祀に用いられる鉞の形です。今の活字は横画の間隔が等しくなっていますが、上の2本を寄せて書くのが本来の形です。下の横画は鉞の刃の部分にあたりますので、金文では刃身を肥(ゆた)かにしたり曲線にすることがあります。

 

戦国中山王圓鼎を習う(62)「慮昔者吾」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》 “戦国中山王圓鼎を習う(62)「慮昔者吾」” の続きを読む

戦国中山王圓鼎を習う(61)「亡遽惕之」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》 “戦国中山王圓鼎を習う(61)「亡遽惕之」” の続きを読む

戦国中山王圓鼎を習う(60)「而去之遊」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之遊、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き遊ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

 

「而」:4回目。前回のものとは異なり、頂部の1画は入れないパターンです。中の両脚の始めの部分をキュッと締めた後は直立に近い状態で延伸して書きます。

「去」:本来、「去」は人の正面形である「大」と盟誓の言葉を入れる器の蓋を取って無効とした「」(きょ)からなります。訴訟に敗れたものがその自己盟誓の器とともに川に流されるのが「法」、神判に用いた敗訴側の生贄も一緒に流すのが「灋」となります。ところが、中山国の篆書では「」(さい)の形で蓋がついている状態です。さらに中山三器の円壺には「去」の下に「止」を加えた形も見られます。なお、この「」は別に縦長の飯器をあらわす場合もあります。また、「凶」など胸郭をあらわす「凵」(こん)とは別のものです。

「之」:7回目となります。前回(59)のものよりも左の2画がやや傾いているようです。

「遊」:声符である「斿」が氏族の旗を掲げて軍旅にでる様をあらわしていて、右に垂れているのは装飾の吹き流しです。中山三器では他に方壺に1例ありますが、こちらの方が吹き流しを長く垂らしています。

戦国中山王圓鼎を習う(59)「委任之邦」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

」(委):「」(ほう)と「禾」からなる字です。「」は「勹」(ほう)と同じで人が何かを抱く形で、また、委ねる様ともなります。ここでは「委」として用いています。なお、「」とともに「はこがまえ」に分類される「匸」(けい)は囲いによって仕切られた場所の象で秘匿の意を持つものです。中山三器では「篚」(ひ)(匪)、「郾」(燕)に見ることができます。

「賃」(任):2回目となります。人偏の頭を少し出し、旁をやや下げた構成になっています。

「之」:9回目です。筆順はいろいろ考えられるますが、左から書く方法もよいと思います。

「邦」:4回目です。この字形を見ると、旁が過度に上がっているように思えます。その理由を探るために器面の接写画像と全景拓で確認すると、この字は偏の書き出しをやや左に下げているために、上の「之」との間隔が空いてしまっています。それによるバランスを調整するために旁を若干上に配したものであることが理解できます。拙臨は忠実を心掛けましたが、偏旁のバランスを修正して書いて良いと思います。

 

戦国中山王圓鼎を習う(58)「是以寡人」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「氏」(是):2回目となります。左の渦紋と縦画の肥点の位置を揃えて書きます。

「厶()」(以):3回目です。「厶()」(し)は耜(すき)の形とされていて、活字では「㠯」(い・すき)を充てていますが、原姿の上部は閉じていませんし、祭肉である「」(たい)と近似しているので「」を用いるのが妥当だと思います。この「厶」(すき)と「人」からなる活字「以」は西周金文までは出てこず、秦簡以後にその用例を確認することができます。この字を書く際は1画で書きます。最後は右上に持ち上げたところから筆を折り返すようにして中央に戻して書きます。

「頁」(寡):6回目です。詳細は(5)をご参照ください。

「人」:8回目となります。「寡人」として6度目の登場です。縦画はこの字の中心であると同時に2行目の中心ともしなければなりません。

 

拙書「金泥銀罫般若心経」のご紹介です。

先日(7/31)の写経入門講座で参考展示した般若心経をご紹介します。金粉は金沢の老舗から純金に近い良質なものを選び膠で溶きながら書いたもの。同様に罫は銀粉を溶いて。濃度を一定にすることがとても難しい作業でした。

 

、「001 台 利 空 子 照 自 子 即 見 在 是 是 不 五 菩 諸 合 は 色 ç 法 産 受 利 色 おるを。 異 背 空 想 空 空 深 相 不 度 般 不 若 生 亦 色 切 波 不 復 羅 滅 即 蜜」というテキストの画像のようです

写真の説明はありません。

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、「岩 æ å 波 触 是 提 羅 除 大 蜜 初 明 知 多 告 å 光 真 是 即 說 實 æ 波 上 不 æ 靈 是 多 羅 故 æ 是 三 說 大 服等神 義」というテキストの画像のようです

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戦国中山王圓鼎を習う(57)「于哉厥邦」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「于」:3回目。[字通]は[設文]の説解を正して「字形は、曲がった形を作るためのそえ木。また刃の長い曲刀の形。卜文・金文の字形は、弓にそえ木をそえた形である」としています。

」(哉):4回目となります。中央の長脚は拓によっては下部が墨で潰れてしまっているものもありますので、状態の良いものを選んで習うことがたいせつです。なお、この字は円壺では「茲」に音通して「慈」として用いています。

「氒」(厥):3回目です。この字例は最終画を他の字例よりも延引しているように見えます。

「邦」:3回目です。偏は祭祀のために植えられた若木で、「封」の偏と同じです。旁に邑を加えることで与えられた所領を統治する封建の意を持ちます。

戦国中山王圓鼎を習う(56)「天其有刑」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「天」:6回目。両腕の幅が上部の横画よりも若干長くして書きます。

「其」:7回目です。この「其」は実際には脚部が右に寄っていますが、バランスが良くないので中心が揃うよう修正して書きました。

「又」(有):拓では中央に肥点があるように見えます。しかし、これはその右にまで伸びている器面の傷みの一部であって、填墨の仕方によって肥点に見えてしまっているに過ぎません。「又」は右手の形で、甲骨文では「有・祐(佑)」の意で用います。渦紋がつくのは、装飾的増画とも考えられますが、古璽体の「有」では「又」に一画加えた「寸」と同形となっており、その一画を渦紋にしたものと考えることもできます。話がずれますが、「又」を「有」として用いる場合、甲骨文ではこれと別の一系である「㞢」の字形があります。下の横画は「王」のような鉞の曲刃かと見える字例もあったり、中央が「工」になる字例もあるのですが、これについての説解がほとんど見当たらず、わずかに白川静[説文新義4]p50に「卜文には別に㞢字があり、有の義に用いる。「王受又〻」をまた「受㞢又」に作ることからいえば、又にまた祐の義あり、㞢又の二字は聲義近くして通用するも、なお用義上の區別がある。その字源を異にするものであろう。…」と触れられている程度で、どのようなものの姿なのかが判然としません。解明を期待したい字のひとつです。

「刑」:形状からすると、の構造をとっていますが、「刑」の意。「井」(けい)は首かせの形ですが、「型」の初文でもあります。なお、中山三器の円壺には旁が「犬」ではなく「刂」(刀)のものも出てきます。