戦国中山王圓鼎を習う(65)「身勤社稷」

※文章中に外字画像を貼り付けています。表示されていない部分はホームページからは閲覧できますので参照してください。
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《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「身」:身ごもっている女性の側身形です。右上の渦紋は「身」を含む「信」(人偏が身となる)と「體」(骨が身にかわる)では「し」のような簡略化したものになり、「身」単字で渦紋になっているのはこれだけです。しかし、中山篆書ではどちらの形に従うかについては融通性があります。下に、最近依頼を受けた「信」一字による拙作雅印を添えておきます。

「勤」:声符の「堇」(きん)は、饑饉などの災いを祓うために巫女である「」を火にかけて焚く形です。「力」は農耕の耜(すき)で、「勤」は当時の農耕がいかに困難を伴うものであったか、その労苦にめげず勤励する様をあらわしているように思えます。甲骨文の字例を下にあげてみます。頭に祝祷の器をつけ祭祀にあたる巫女であることを示す「」が後ろ手に縛られ火にかけられている、まさにおぞましい字形です。拙臨は「堇」を書いてから「力」を書いてみました。

」(社):土地の神を祀るための祭壇のこと。「社稷」とは周の時代から行われていた祭祀でしたが、秦漢以降は国家が行う祭祀の中心的な役割を担うようになって、「国家」をあらわす語となりました。「社稷」の語として今回で3回目の登場となります。

「禝」(稷):農耕神を祀るための祭壇。声符の「畟」(しょく)は農耕神の形。この2字は器面が傷んでいて拓影が明瞭ではありません。前例と接写画像を参考にして書くとよいでしょう。

「信」 (中山国篆書)
「堇」 (甲骨文編)