戦国中山王圓鼎を習う(66)「行四方以」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「行」:4回目。拙臨では右下後半に外へ展開し始めるところがやや早すぎました。

「四」:初回に続く2度目となります。他の字とは異なり、縦の字枠をすべて埋めるのではなく上下を空けた結構です。

「方」:2回目です。屍を横木に架け邑の境界地において外からの異族邪霊の侵入を防ぐ呪禁行為をさす字です。左下へ向かう2画の方向は平行ではなく若干閉じる傾向があります。

」(以):4回目です。中山三器だけで24例もある字です。「以」の意で用いるこの字は耜(すき)の形で一画で書きます。「以」の活字は「(ム)」と「人」からなっていますが、「人」が加わるようになったのは戦国期の雲夢秦簡あたりでしょうか。甲骨文、金文は「人」が入りません。従ってこれに充てる活字は「」以外にも、耜を祭祀によって清める象である「台」字の「ム」としても良いものです。なお、常用漢字「以」は現在5画とされているわけですが、正しくは4画とすべきで、現にそのように編集している字書に『古文字類篇』(高明 他編著)等があります。