戦国中山王圓鼎を習う(62)「慮昔者吾」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の亡し昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

 

」(慮):声符「呂」(りょ)と「心」からなる字で、「慮」の異体字とされています。「呂」は青銅器を鋳造する際に原料となる銅の塊で甲骨文や金文では2つを結ぶ線はありません。古代中国では青銅のことを「金」と呼んでいたのですが、「金」の金文には鉞の横にこの「呂」にあたる銅の小塊が添えられたものがあります。

「昔」:3回目です。「日」と薄切りにした乾し肉の形からなります。今昔の用法が生じると本来の乾し肉(ほじし)を表す字として「腊」が使われるようになりました。元々はジグザグの線が羊の頭のような形に合わせられたと思われます。

「者」:これも3回目です。上部は「止」の形に見えますが、これは枝分かれした木を重ねた状態をあらわし、祝祷が収められた器に被せて呪禁とした象です。

」(吾):音通により「吾」として用いています。これもまた3回目です。魚の下部が「火」のようになっていることについては前回少し触れました。かなり縦長になりますので分間の取り方に注意して書きます。

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