戦国中山王圓鼎を習う(59)「委任之邦」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

」(委):「」(ほう)と「禾」からなる字です。「」は「勹」(ほう)と同じで人が何かを抱く形で、また、委ねる様ともなります。ここでは「委」として用いています。なお、「」とともに「はこがまえ」に分類される「匸」(けい)は囲いによって仕切られた場所の象で秘匿の意を持つものです。中山三器では「篚」(ひ)(匪)、「郾」(燕)に見ることができます。

「賃」(任):2回目となります。人偏の頭を少し出し、旁をやや下げた構成になっています。

「之」:9回目です。筆順はいろいろ考えられるますが、左から書く方法もよいと思います。

「邦」:4回目です。この字形を見ると、旁が過度に上がっているように思えます。その理由を探るために器面の接写画像と全景拓で確認すると、この字は偏の書き出しをやや左に下げているために、上の「之」との間隔が空いてしまっています。それによるバランスを調整するために旁を若干上に配したものであることが理解できます。拙臨は忠実を心掛けましたが、偏旁のバランスを修正して書いて良いと思います。

 

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