戦国中山王圓鼎を習う(61)「亡遽惕之」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「亡」:3回目です。「亡」とは別に通用するものとして、しんにょうの付いた「 」(ぶ)がありますが、これは「撫」の異体字です。

」(遽):なお不詳な字ではありますが、諸賢は「遽」字を充てています。活字化に関しては李学勤が「」(きょ)とし、その音を以て「遽」の仮借字としています。それを裏付けるものとして、『楚辞』大招篇の「遽惕(きょてき)ある靡(な)し」の一文を挙げています。「遽惕」とは「あわておそれる」意です。中山王がこの三器を鋳造する背景に関係するキーワードともいえる語といえます。なお、小南一郎はこれを「」、郝建文は『戦国中山三器銘文図像』において「」とするなど諸氏をして紛々です。中山国の遺跡からは鐘鼎を架ける台座に虎の紋様からなる象嵌を施した器物が発掘されているそうですが、「豦」(きょ)は虎頭をもつ獣の姿を映しています。ただこれは虎の側身形で正面形となると「」となり、これが「虡」(きょ)の異体字となるのです。一方、『金文編』の「虚」はこの「虡」()として扱われていますが、その字例をみると、ここで「遽」としている字形に共通する部分をみとめることができます。それによって私は「」をあててみました。ちなみに、[字通]は「虚」の下を「丘」としているものの古い字例はありませんし、「虛」の下の部分は「」の省略形とみなした上での管見です。なお、この字の中央の部分は「火」の形で「光」、「庶」、この次に出てくる「焬」などの構成素となりますが、「」、「鮮」の両字にある「魚」には同形が使われていますし、さらにはここで取り上げている「異」を含む「冀」字にしっかりと認めることができます。

 

 

「焬」(惕):声符は「易」(い・えき)。仮借字の「惕」(てき)として用いています。珠玉である「日」をその光をあらわす「勿」(ふつ)の肩に載せる形です。拓によっては中の点が採れていないものがありますので注意が必要です。

「之」:8回目となります。縦画の美しい反り具合を再現するのはなかなか難しいです。

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