戦国中山王圓鼎を習う(49)「智此易言」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施。非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「智」:4回目です。「智」の初形である甲骨文の構成素「矢」、「」(さい)、「干」(かん)はいずれも祭祀に用いる聖器ですが、現在の活字には「干」がありません。しかし、馬王堆帛書や張家山漢簡など、漢時代までは入っていたようです。これが魏になって『三体石経』では省かれていることが認められます。「矢」の尖頭を「干」より少し上に出すようにして書きます。

「此」:「此」はこの一字のみで、声符「止」(し)と「匕」(ひ)からなります。ただ、字形がどのような状況を表しているのか、よくわからない字です。「匕」は普通、右向きの人、さじ(匙)、曲刀の場合が考えられますが、[字通]では「牝牡(ひんぼ・めすおす)の牝(ひん)の初文。此は雌の初文。此に細小なるものの意がある。之と同声で、代名詞の近称として用いる」、さらに「牝牡の字形は匕・土の形で示され、牛羊の旁(つくり)に加える。それぞれ牲器(性器)の部分の象形である」としています。残念ながら、不肖ゆえ、この説明では直ちに氷解に至りません。「止」を「匕」の凹みに納める結構は見事に感じます。

「易」:「易」は2通りの形があって、他の一つはこれに上下逆転したものを横に並べるものです。[字通]によれば、「日+勿(ふつ)。日は珠玉の形。勿はその玉光。玉光を以て魂振りを行う。玉を台上におく形は昜(よう)で、陽と声義が近い。下部は勿の形。玉による魂振りをいう。]とあります。右肩にある小さな部分が「日」のようです。

「言」:これも[字通]を引用すると「辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器の(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった。白川漢字学の核心の一部ともいえる魅力ある説解です。「言」は、それを含む中山国の字例として、「訛」「訴」「語」「誓」「誘」「請」「許」「詻」の他、通仮字として「作」「信」「恪」「専・傳」「貽」があり、比較的頻出するものの一つです。