《隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》
《隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》
「施」:諸氏は「也」の意としているものの旃(せん)の形をあてています。その理由を、李学勤氏の指摘である、漢代の儒者である戴徳が礼に関する古代文献を整理した『大戴礼記』武王踐阼篇の周の武王が万世に伝わる格言から自戒の銘を作ったとする件に、「盥盤之銘曰、与其溺於人也、寧溺於淵。溺於淵、猶可游也。溺於人、不可救也。(盥盤(かんばん)の銘に曰わく、其の人に溺れん与(より)は、寧ろ淵に溺れよ。淵に溺るるは、猶ほ游(およ)ぐ可きなり。人に溺るうは、救ふ可からざるなり)」によるところとしています。しかし、何故「也」に「旃」をあてたのか。適するものがないため近い字形をあてたと思いますが、中の部分は「旃」を構成する「冉」でも「丹」でもありません。むしろ「它」の変形とみるべきで、私は「施」であると思います。「施」と「也」は音通するのです。 ちなみに、「施」の部首は「かたへん」となっていますが、屍を打つ象である「放」などとは異なり、旗竿の象を含む字ですから、部首はやとして「はた」などの名称とするべきではないかと思います。
「寧」:字通によれば、宀(べん)+心+皿(べい)、丂(こう)からなる字で、丂(こう)がつかない寍も同字であるとしています。宀は廟所。皿上に犠牲の心臓をのせて祭り、寧静を求める儀礼の意です。中山国の篆書には丂(こう)の有無による2系のほか、宀(べん)を略したもの(方壺にあります)の合わせて3種があります。ここでの字形は、皿(べい)を簡略化したものとなっています。
「溺」:「しゃく」のさんずいの部分が傷んでいるために拓影が鮮明にでないものもあります。状態の良いものに拠って習うと良いと思います。
「於」:前述していますので参照して下さい。