戦国中山王圓鼎を習う(5)「不□□寡」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「不」:花の付け根の部分で、花弁や子房などを支える萼の形。しかし、その意で用いることはなく、打ち消しの意で用いています。萼本体の部分と左右斜めに落とす線を一体化するために2画をクロスさせています。▽の空間を小さくするのは長脚に見せるためです。

「□」:この字は「立」と音符となる「癹」からなります。「癹」は「發」の初文で白川静氏は「字通」でこれを「發」であるとしています。ただ、諸氏は音通より「悖」(音:はい、訓:もとる 、道理に逆らう)意で用いているとしているようです。作製した外字は図版を参照して下さい。はつがしらが幅をとるので偏旁を緊密にさせています。「立」の下は空け、旁の脚を強調させます。

「□」:これは「哉」の意で用いています。字形は「幺」を2並べたもの(音:よう)と「才」からなっています。「才」の横画の位置は5分の2ほどのところにします。

「寡」:「寡」の字形は戦国以前とそれ以後では2つの系統に分かれるようです。ここでの字形は戦国の楚簡の系統に近いもので、「頁」の左右に4つの画があります。おそらく、これら左右4つの画は「光」でもみられ、また「若」では右に2画添えるなど、いずれも装飾表現と思われます。ただ、「沬」(音:び、字形は水盤を返して頭から水をかけるさま)の金文にもこれと酷似したものがあります。その4つの画は水が飛び散る様だと思われますが、これらとの関連が気になるところです。なお、「寡」の小篆は「宀」(べん)と「頁」(けつ)と「分」から構成されていますが、「分」はこの小さな画と「頁」の足の部分を合わせたことによる訛謬だと考えられます。「寡」と「顧」は楚簡においては通用し、「顧」に同形が認められます。

 

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