「宜(義)不(求)者(諸)」 (大)義を(顧みず)、諸(侯)に求めずして、
「宜」(義):俎板(まないた)を表す「且」(ショ・ソ)に肉がいくつも載せられた形です。後になって「且」の外枠がウ冠に、肉(夕)を重ねた形が「且」となったもので、廟屋を表すウ冠ではありません。ここでは「義」に通仮させています。
「不」:5回目です。
「」(求):捕捉器に足を捉われた鳥が脱去し得ない状況を示す「」(キュウ)が声符です。「舊(旧)」はみみずくのように角状の毛が頭部にある鳥の場合で、字義は「」と同じと考えられます。この「」字の意について、字形上の両際に阻まれた構造から例えば「窮」を連想しますが、諸賢は「究・救」などの諸説を呈示している他、白川静氏は「忌」、小南一郎氏は「求」であるとしています。今、ここではこの「求」説を採ることとします。意は「救いや助けをもとめる」といったものです。上下の二線は二つの間にあって極まる状態を示すもので、「亙」(コウ)・「亘」(コウ)・「恆」(コウ)・「亟」(キョク)などにみられるものです。(※これらは2線間にあるものが異なります。それぞれ、両岸の間にある舟、垣を巡る様、弓矢の弦、狭い空間に閉じ込められた人などとする説があります。)
「者」(諸):上部は「止」の形になっていますが関係はありません。呪禁の目的で祝禱の器「」の上に枝や土を被せた形で、左の2本の斜画は枝や土の一部が変化したものです。ここでは「諸」に通仮させています。