《於虖、攸(悠)哉。天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之
(慮)。昔者
(吾)先祖
(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今)
(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》
《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》
「 」(親):[字通」には、「辛(しん)+木+見。神事に用いる木をえらぶために辛(針)をうち、切り出した木を新という。その木で新しく神位を作り、拝することを親という。〔説文〕八下に「至るなり」とし、また宀(べん)部の寴字条七下にも「至るなり」とあって同訓。寴は新しい位牌を廟中に拝する形で、金文には親を寴に作ることがある。父母の意に用いるのは、新しい位牌が父母であることが多いからであろう。その限定的な用義である。すべて廟中に新しい位牌を拝するのは、親しい関係の者であるから、親愛の意となり、また自らする意に用いる。」とあります。「親」として用いる中山国の篆書には他に「宀」と「新」からなる字もあります。
「」(率):2回目です。水にさらした糸束を絞っている形「率」(固定する横木は省略)に「辶」が加えられていて、「ひきいる」意となります。前回の例よりも行人偏の下部を長く表現しています。
「參」:[字通]によれば「厽(るい)+㐱(しん)。厽は三本の簪(かんざし)の玉の光るところ。㐱は人の側身形に彡(さん)を加えて、人の鬒髪(しんぱつ、黒髪のこと)の長いさま。」とあります。西周金文は、巫女の頭部にある3本の簪が明らかな字形です。
「軍」:「勹」(ほう)と「車」からなる字です。白川静は金文では「勹」を軍旗のなびく様としています。それに従えば、上部の短い2本の横画は「中」にもみられるような吹き流しではないかとも想像できます。ただ、一方で金文には「勤」など耜(すき)をあらわす「力」と近似したものがあり、この中山国の篆書はそれに類する系統であり、あるいは武具の一種ではと思わせる姿をしています。