戦国中山王圓鼎を習う(67)「憂勞邦家」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「」(憂):「憂」は「」(ゆう)と「夊」(すい)からなる字ですが、「」が初文となります。頁(けつ)は儀礼に臨む人の姿で、夊はあちこち歩き回る意のたちもとおる(立ち徊る)形です。しかしすでに頁に足がふくまれていて重複しています。憂いごとを抱えて右往左往することを強調するために「夊」を加えたものです。中山国の篆書では中央に雁垂(がんだれ)のような画がありますが、これは「頁」の足部が変形したものと考えられます。中山三器の円壺にはそのことを裏付ける字例があります。

」(勞):「勞」はたいまつを束ねた形「」(えい)と「力」からなりますが、ここでは省略と「心」への交換がされています。この「勞」は中山三器では唯一の字です。

「邦」:5回目となります。偏の肥点と旁の折り返しの位置を概ね合わせて書きます。

「家」:犬などの生け贄を埋めて地の霊を鎮めた建物。これも中山三器で唯一の字です。中山三器で「豕」(し)を含む他の字例では小さな渦紋は身体の中には入っていません。しかし、この「家」の場合は接写画像で確認しても勢い誤ったとも思えず、あえて変化を加えたようにみえます。

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