戦国中山王圓鼎を習う(3)「詐鼎于銘」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「詐」(乍・作):字通を引用すると、「声符は乍(さ)。〔説文〕三上に「欺くなり」…乍は木の枝をむりにまげて垣などを作る形で、作為の意がある。詐は言に従い、祈りや盟誓において詐欺の行為があることをいう。」とあります。ただ、ここでは、「乍(つくる)」に通じたものとして使っています。また、この「乍」の字形は底部右を閉じていますが、これは中山国独特のもので他には見られない形です。

「鼎」:本来は鼎の器形からなる字です。しかし、中山国の場合はむしろ「鼎」と通用する「貞」に近い形です。「貞」は「鼎」と「卜」を組み合わた、占う様を表わす字です。左右につく部分は鼎足の飾りと思われます。

「于」:曲がった形を作るためのそえ木の形、または刃の長い曲刀の形。卜文・金文の字形に、弓にそえ木をそえている形があります。湾曲部の位置は高めにして終筆に向けての伸びやかさを出すことが大切。

「銘」:「名」が声符。字通から引用すると、「名」は夕(肉)+口。口は祝禱を収める器。子が生まれて三月になると、家廟に告げる儀礼が行われ、そのとき名をつけたとあります。「夕」の終筆をくるりと丸めるのは中山国篆の特徴の一つです。筆軸を立てて書くことが肝要です。

 

戦国中山王圓鼎を習う(1)「隹十四年」

中山王円鼎銘文《隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「隹」(唯・惟):「隹」は鳥の形です。説文には「鳥の短尾なるものの総名なり」とありますが、甲骨文では、神話的な鳥の表示に「鳥」を用いるのに対し、「隹」は一般的、特に鳥占いで神意を諮る際に用います。右側に大きく湾曲する線は本来の構造から離れて装飾的な表現に変化しています。語法としては「隹(こ)れ」というように発語として使われます。

「十」:算木に用いる棒を縦にした形です。甲骨文では横にした形が「一」、縦にした形が「十」、交差させた形が「五」となります。金文になると「十」を表す縦の線に肥点を加えるようになります。中山国の篆書ではその肥点が微細であるのが特徴です。

「四」:一から四までは算木を横にして重ねます。現在の「四」の形が登場するのは石鼓文からで息を表す「□(口+四) き」の省文によって仮借したものとされています。「四」のもとの字形は何の象か、口を開けた形にも見えますし、朙」の偏の書写体に似た形も見られますがはっきりとはわかっていません。なお、年を表記する際には、例えば戦国齊(桓公)陳侯午敦のように「十有(又)四年」という具合に「有(又)」を挟むことが多いのですが、中山国では他器でも入れていません。

「年」:稲を表す「禾(か)」と「人」から成る字です。禾は禾形の被りもので、農耕儀礼に稲魂(いなだま)である禾を被って舞う人の姿です。男が舞うのが「秊(年)」、女は「委」、子の場合は「季」となります。中山国の「年」は「和」や「委」の場合とは異なり、「人」を長脚にするために稲穂の下茎を略して書きます。なお、「人」単独では加えていないのですが、ここでは「人」の脚に肥点を入れています。