戦国中山王方壺を習う(34)

(惕)(貯)渇(竭)志」 (寧ぞ懅)惕食すること(あらん)。貯、志を竭(つく)し

 

」(惕):声符の「易」にはテキの音もあり、ここでは「惕」(テキ・おそれうれえる)と通仮しています。この字を「易・火」の構成から「焬」(セキ・シャク・エキ・ヤクなどの音、光・乾くなどの意)に充てることもありますが、ここでは構造そのままに「」としました。戦国の楚で謳われていた韻文を集めた『楚辞』大招に「魂兮歸來、不遽惕只」(魂よ帰り来たれ、遽惕せず)とあり、また、その注釈書である『楚辞章句』には「言飲食醲美、安意遨遊、長無惶遽怵惕之憂也」(ここに醲美(ジョウビ・旨き酒肴)を飲食し、意を安んじ遨遊せば、長じて惶遽怵惕(全ておそれる意を持つ字)の憂い無し)とあります。

」(貯):2回目です。中山王を支えた相邦(政務を司る長)の名です。

「渇」(竭):声符「曷」(カツ・ケツ)によって「竭」(つきる・ほろびる)と通じています。「曷」について、《字通》には「曷は屍霊を呵して責め、呪詛(ジュソ)などを行う意。行き倒れを葬るとき楬(ケツ)を立て、その霊を鎮めた」とあります。中山篆の「曷」の形は「碣」の説文古文の形の祖系にあたるものと思われます。

「志」:声符「之」と「心」からなり、心の之(ゆ)く様を表しています。「心」は敢えて長脚が無い形を採っている点が興味をそそられるところです。