戦国中山王方壺を習う(27)

「良(佐)貯ム(以)

(賢才)良佐の貯を(得しめ)、以て

「良」:穀物の量を計るためとおもわれる囊(ふくろ)状の器物。上は挿入口ですが、中山篆では「化」の形に変化しています。

」(佐):「差」は左手に呪具を持って神に助けを求める形の「左」に、黍稷(きび)である「禾」を加えて神にすすめ祭る形です。中山篆では獣偏を用いていますが、「佐」と同様に「たすける」意となります。なお、この形は円鼎と方壺にみられ、一方、円壺には偏旁が逆で「禾」がない略体がでてきます。《古文字類編》などは別字として扱っていますが、円壺の一部に怱卒で粗く別工の手と思われる字が混在する事情を踏まえると同字とするべきと判断できます。ちなみに、ここでの「」もやや箍(たが)が緩んでいるように思えます。

「貯」:この字の特定については諸説あります。李学勤は「周」の省形と「貝」からなる「賙」(しゅう)で、中山国の相邦(職名で相国ともいう)であった司馬憙のことであるとしています。白川静氏もそれに従っていますが、恐れながら、諸家の説の経緯を参照した上で、私は少々異なる見解を持っています。これについては2017年9月16日、河北省石家荘市における中山国文化研究会において発表したパワーポイントによる資料を既にフェイスブックならびにホームページに出してあります。下に該当するその一部を載せましたのでご参照下さい。

「ム」(以):5回目となります。