戦国中山王方壺を習う(32)

「ム(以)遊夕㱃(飲)」  (是を)以て遊夕 飲(食し)

「ム」(以):6回目です。

「遊」:《字通》によれば、「声符は斿(ゆう)。斿は氏族霊の宿る旗をおし建てて、外に出行することをいう字で、游・遊の初文。字はまた游に作る。〔説文〕に遊の字を収めず、游字条七上に「旌旗の流なり」とし、重文として遊を録する。流は吹き流し。斿・游・遊三字はもと同字であるが、のち次第に慣用を生じた」とあります。

「夕」:夕(ゆうべ)の月の形を表しています。殷周では朝夕の礼がおこなわれており、2003年、陝西省眉県楊家村から出土した『盤』(の音はコツまたはフ)には「虔夙夕敬朕死事」(虔(つつ)しみ夙夕(しゆくせき)に朕が司事を敬(つつ)しめり)という語がみえ、また『大克鼎』には「敬夙夜…」ともあり夙夕に政務が行われていたようです。なお、渦紋は「又」(有)と同様に装飾的に添加した表現です。

「㱃」(飮):《字通》には「正字は(いん)。酓+欠。酓は酒壺に蓋栓を加えた形で、飮の初文。欠は口を開いて飲む形。酒漿の類を(の)む形」とあります。