戦国中山王方壺を習う(36)

「右(佑)(厥)(闢/辟)不」 厥の辟を(佐)佑け、(其の心を貳つにせ)ず

「右」(佑):右手をあらわす「又」(ユウ)と祝祷の器「」(サイ)から構成されます。「又」は「右・佑・祐」の初文で、すでに「右」には「たすける」意がありますが、ここでは「佑」をあて、直前の字に続け、助ける意の「佐佑」とされます。

」(厥):2回目です。

(闢)」(辟):開く意をもつ「闢」(ビャク・ヘキ)の金文はこの中山篆の祖系にあたる字形で両手で廟扉を開ける形です。「辟」(ヘキ・ヒ・ヘイ)は人の腰肉を切り取る刑罰をあらわす字ですが、開く意も有しています。さて、この字形をどのように隷定するか。赤塚忠氏は「」とし、小南一郎は「」としています。しかし、これは「」とすべきと考えます。中山三器の同要素を含む字を参照すれば自明なことだす。同要素を含む字は、「戒・朕・送・棄・與」を挙げることができ、その「廾()」(キョウ)には2本の横画を添えるのが中山篆の特徴となります。ただ、不明ゆえに「辟」との関係については了知にいたらない点が残ります。

「不」:3回目です。

 

第28回栃木の書壇50人展が開催中です。

第28回栃木の書壇50人展

令和5年1月19日~24日  東武宇都宮百貨店6F

今回は

①「學王孫遺者鐘」(軸・全紙)

②「入我我入」出典:『秘蔵記』 (額及び印材57㎜×57㎜)

の2点を出品しております。

 

學王孫遺者鐘   135㎝70㎝
「入我我入」      57㎜×57㎜

 

 

 

戦国中山王方壺を習う(35)

「盡忠ム(以)(佐)」 忠を盡くし、以て(厥の辟を)佐(佑)け

「盡」:深い器「皿」とその中を洗うための筆状の具「聿」からなり、器中を隅々まで洗い尽くす様を表しています。「聿」の下部の2本を斜画にするのは郭店楚簡などに特徴的にみられる表現です。

「忠」:2回目です。

「ム」(以):7回目です。

」(佐):2回目です。

 

 

戦国中山王方壺を習う(34)

(惕)(貯)渇(竭)志」 (寧ぞ懅)惕食すること(あらん)。貯、志を竭(つく)し

 

」(惕):声符の「易」にはテキの音もあり、ここでは「惕」(テキ・おそれうれえる)と通仮しています。この字を「易・火」の構成から「焬」(セキ・シャク・エキ・ヤクなどの音、光・乾くなどの意)に充てることもありますが、ここでは構造そのままに「」としました。戦国の楚で謳われていた韻文を集めた『楚辞』大招に「魂兮歸來、不遽惕只」(魂よ帰り来たれ、遽惕せず)とあり、また、その注釈書である『楚辞章句』には「言飲食醲美、安意遨遊、長無惶遽怵惕之憂也」(ここに醲美(ジョウビ・旨き酒肴)を飲食し、意を安んじ遨遊せば、長じて惶遽怵惕(全ておそれる意を持つ字)の憂い無し)とあります。

」(貯):2回目です。中山王を支えた相邦(政務を司る長)の名です。

「渇」(竭):声符「曷」(カツ・ケツ)によって「竭」(つきる・ほろびる)と通じています。「曷」について、《字通》には「曷は屍霊を呵して責め、呪詛(ジュソ)などを行う意。行き倒れを葬るとき楬(ケツ)を立て、その霊を鎮めた」とあります。中山篆の「曷」の形は「碣」の説文古文の形の祖系にあたるものと思われます。

「志」:声符「之」と「心」からなり、心の之(ゆ)く様を表しています。「心」は敢えて長脚が無い形を採っている点が興味をそそられるところです。

戦国中山王方壺を習う(33)

(食)(寧)又(有)(懅)」 (飲)食し、寧(なん)ぞ懅(惕)(キョテキ)すること有らん

」(食):ここでは飲食の「食」。食と人からなる「」(シ)は「食」と声義が近く、「」が名詞的に使われるのに対して「食」は動詞的に用いられます。

」(寧):この字は「寧」に隷定できます。中山三器それぞれの用例を比較すると、円壺に2つのタイプがあり、それらが方壺・円鼎に別々にみられます。ただ、方壺の字形はウ冠が省略されたものとなっています。「寧・寍」はおそらく同字で、廟所にて犠牲の心臓を供えて祀り、安寧を希求する様と考えられます。

「又」(有):3回目となります。

」(懅):音はキョ、ここでは「遽惕」(キョテキ・おびえる)の意で用いられています。遽と懅は通用します。字の構成は、廟所をあらわす宀(ベン)と鐘類の楽器を架ける台座である「」(キョ)の異体字である「虡」の虎頭を除いた部分、そして心からなります。この字を諸賢は「」という具合に構成素に「火」を認めていますが、これは「虡」の金文体の下部が譌変したものと考えてよいと思います。「」の魚の下部を「火」形にするなど中山篆では屡々認められる特徴です。

戦国中山王方壺を習う(32)

「ム(以)遊夕㱃(飲)」  (是を)以て遊夕 飲(食し)

「ム」(以):6回目です。

「遊」:《字通》によれば、「声符は斿(ゆう)。斿は氏族霊の宿る旗をおし建てて、外に出行することをいう字で、游・遊の初文。字はまた游に作る。〔説文〕に遊の字を収めず、游字条七上に「旌旗の流なり」とし、重文として遊を録する。流は吹き流し。斿・游・遊三字はもと同字であるが、のち次第に慣用を生じた」とあります。

「夕」:夕(ゆうべ)の月の形を表しています。殷周では朝夕の礼がおこなわれており、2003年、陝西省眉県楊家村から出土した『盤』(の音はコツまたはフ)には「虔夙夕敬朕死事」(虔(つつ)しみ夙夕(しゆくせき)に朕が司事を敬(つつ)しめり)という語がみえ、また『大克鼎』には「敬夙夜…」ともあり夙夕に政務が行われていたようです。なお、渦紋は「又」(有)と同様に装飾的に添加した表現です。

「㱃」(飮):《字通》には「正字は(いん)。酓+欠。酓は酒壺に蓋栓を加えた形で、飮の初文。欠は口を開いて飲む形。酒漿の類を(の)む形」とあります。

戦国中山王方壺を習う(31)

「賃(任)之邦氏(是)」  之に邦を任(まか)す。是を(以て)

「賃」(任):「賃」の音は「チン・ジン」。声符「任」には「ニン・ジン」の音があり、両字は通用する関係です。「任」を構成素とする字には円鼎に「おもう・やすらぐ」の意を持つ「恁」(イン)がありますが、「壬」の部分の形に違いがあります。なお、円壺中の「賃」は「亻」と「貝」の脚が省略された省体になっています。

「之」:2回目です。

「邦」:2回目です。声符の「丰」(ホウ)は苗木を表し、苗木を植えて地祭をなし封建の証とする形です。「丰」の形には下に地をあらわす横画があるものとないものがあり、方壺では全て横画があるパターンであるのに対して円鼎は全てないパターン。そして、円壺では冒頭の怱卒な刻銘になっている部分にある1例が「なし」、他の2例が「あり」と混在となっています。

「氏」(是):《字通》には「小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐に与(あずか)るものが氏族員であったので、氏族の意となる。」とあります。氏の音は是(ゼ・シ)と近いため通用します。ただ、段玉裁が是を氏の本字とする点については、「是」は匙(さじ)の形で小刀である「氏」の形状と異なっており本字とするには首肯できかねます。渦巻きの部分と縦画の肥点の位置を揃えて書きます。

戦国中山王方壺を習う(30)

(信)施(也)而(專)」  (忠)信なることを(知る)也而して専ら

」(信):「信」と通仮する字です。また、中山篆では「亻」や「骨」を「身」に替えることがあります。「身」の右上の弧の一部は渦紋の省形で、渦紋にする「身」もあります。

「施」:吹き流しがついている旗の形「」と「也」からなっています。「也」は匜(い)とよばれる水器の形で、その匜の初文とされていますが、虫形のようにもみえます。ちなみに、「」と似た要素を持つ「於」は旗とは無縁で羽根を広げた姿を曝した鳥の屍体です。

「而」:頭髪を切った姿、もしくは顎髭(あごひげ)の形。《字通》によれば「頭髪を切って、結髪をしない人の正面形。雨乞いをするときの巫女(ふじょ)の姿で、需とは雨を需(もと)め、需(ま)つことを示す字で、雨と、巫女の形である而とに従う。濡・儒はその系統の字である」とあります。ちなみに頭髪を切り落とした側身形は「兀」(ゴツ)です。

」(專):ここでは「專」(もっぱら)の意となります。文献にはみられない字で諸賢はこれに「」の形をあてていますが、右端は接写画像をみても「」であって、「專」とするには縦画が足りません。「田」が「日」に譌変しているようです。

戦国中山王方壺を習う(29)

「余智(知)其忠」 余、其の忠(信なることを)知るなり

 

「余」:取っ手がある細みの刀の形です。「余・我・朕」を身分称号的な語で用いるのは仮借によるものです。中山篆では字形の一部を渦紋にしています。

「智」(知):「智」は「知」に通用する字です。《字通》には「字の初形は矢(し)+干(かん)+口。矢と干(盾)とは誓約のときに用いる聖器。口は(さい)その誓約を収めた器。曰(えつ)は中にその誓約があることを示す形。その誓約を明らかにし、これに従うことを智という。知に対して名詞的な語である」とあります。

「其」:2回目です。

「忠」:声符の「中」は旗竿に吹き流しがたなびく形です。「忠」は心を尽くす様をいい、「まごころ・まこと・ただしい・おもいやり、いつくしむ、こころをつくす、てあつい」などの意があります。

戦国中山王方壺を習う(28)

「輔相(厥)身」 厥の身を輔相せしめたり

「輔」:車輪の補強をする部品であることから「たすける」意を持ちます。声符の「甫」(ホ)は苗木の根の部分を包む形です。

「相」:樹木を呪的な目的で観視する様。「みる・たすける・かたち」などの意を持ちます。「目」の下の横画については、春秋期の〈庚壺〉や戦国期の〈趙武襄君鈹〉にあたかも重文の記号のように横画を2本にする字例があり、その流れを受けた省形と思われます。

」(厥):把手が大きな曲刀の形です。この字形を「氒」(ケツ)に隷定することが多いのですが、古い字形とは似ていないようです。文献には同音の「厥」字を指示代名詞の「その」として充てています。

「身」:身ごもっている女性の側身形です。この反形と撃つ様「殳」からなるのが「殷」です。