戦国中山王圓鼎を習う(58)「是以寡人」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「氏」(是):2回目となります。左の渦紋と縦画の肥点の位置を揃えて書きます。

「厶()」(以):3回目です。「厶()」(し)は耜(すき)の形とされていて、活字では「㠯」(い・すき)を充てていますが、原姿の上部は閉じていませんし、祭肉である「」(たい)と近似しているので「」を用いるのが妥当だと思います。この「厶」(すき)と「人」からなる活字「以」は西周金文までは出てこず、秦簡以後にその用例を確認することができます。この字を書く際は1画で書きます。最後は右上に持ち上げたところから筆を折り返すようにして中央に戻して書きます。

「頁」(寡):6回目です。詳細は(5)をご参照ください。

「人」:8回目となります。「寡人」として6度目の登場です。縦画はこの字の中心であると同時に2行目の中心ともしなければなりません。