「臣」:登場は2回目です。別の中山三器の円壺では概して怱卒な結体となっていますが、その中の「臣」だけは中央の眼球を貫く形になっています。
「貯」:この字の特定については諸説あります。李学勤は「周」の省形と「貝」からなる「賙」(しゅう)で、中山国の相邦(職名で相国ともいう)であった司馬憙のことであるとしています。白川静もそれに従っていますが、恐れながら、諸家の説の経緯を参照した上で、私は少々異なる見解を持っています。これについては2017年9月16日、河北省石家荘市における中山国文化研究会において発表したパワーポイントによる資料を既にフェイスブックならびにホームページに出してありますので、ご興味のある方はご覧ください。
「克」:字形は「克」と「又」からなっており、赤塚忠は「克」の意を持つことは間違いなく、「剋」の異体字の可能性があるとしています。「又」を加えるものには他に「祖」の例があります。
「訓」(順):この字も活字にはないようです。音符の「川」と意符の「心」からなります。戦国に至ると「言」に従うものと「心」に従う2系に分かれ、郭店楚簡にはその両方がみられます。諸家は「訓」の異体字としてしているようです。「心」を構成素に加えたり変更したりする例としては、他に「労」があります。「訓」は古くは「順」(したがう)の意で用いていました。他の同字とくらべるとやや脚が短いので修正を施しています。