戦国中山王方壺を習う(19)

[(純)悳(德)遺(訓)」  純徳遺訓(有り)

」(純):「純」の糸が束になった形。「束」は薪などのたば、「糸」は糸たば、ともに束ねた状態のもので、通用していたと思われます。「屯」も糸に関係する字で、「トン・ジュン・チュン」の音を持ち織物の糸の端を結び止めた形です。

「悳」(德):徳の意で用いられています。悳は直と心からなり、直は省に隔絶を示す乚(イン)を加えた形。省は目に呪飾「」(テツ)を加えた形で、セイの音に誘因され「生」に似せて肥点を加えるようになったと思われます。ただ、直と省の呪飾には明らかな違いがあり、直の場合は左右に分岐する画はありません。また、直の乚(イン)は省略することもあり、徳の字形はその乚(イン)を略した直と、目に呪飾を加えて地方所領を巡察に行くことから付いた彳(テキ)と心からなるものが一般的です。ただ、まれに呪飾が(テツ)になるもの(王子午鼎)や彳(テキ)が辵(チャク)になるもの(王孫遺者鐘)などの例があります。今回のこの「悳」の字は乚(イン)と目の間隔が空きすぎた感がありましたので若干修正を施しました。

「遺」:音は「イ・ユイ」ですがもとは声符である貴の音であったと思われます。《字通》には「(キョク)+貝。貝を両手で捧げる形。貴重なものとして扱う意を示す。〔説文〕六下に「物賤(やす)からざるなり」とし、字形を貝に従い、臾(ゆ)声とするが、声が合わない。」とあります。貝の部分は貝や玉などを綴った形「少」としています。

」(訓):川と心からなります。川には古く「クン」の音があったと思われ、ここでは「訓」の意として用いられます。川の音の変化は他にも「順」の「ジュン」があり、この字はそれらと通用しています。

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