戦国中山王圓鼎を習う(114)「之毋替厥邦」(最終回)

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難人才彷。於虖。子々孫々永定保之、毋竝厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を保し厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ

○「之」:24回目(重文を含む)です。

○「毋」:5回目です。

○「竝(並)」(替):中山王円鼎ではこの1例のみです。「立」が2つ、2人が並んで立つ形です。「替」は「すてる・ないがしろにする」意があり、正字は「竝」と「曰」からなり、「並」とは通じています。ここの「毋替」について、小南一郎は、「古典では「勿替」と表現される。例えば「詩」小雅楚茨に「子々孫々、勿替引之」(すつるなくこれをながくせよ))とあるほか、「尚書」康誥の「王若曰、往哉、封、勿替敬典」(てんをけいするをすつるなかれ)など、主君の公式の発言や祝詞の最後に用いられることが多い。」と述べています。

○「」(厥):5回目です。

○「邦」:10回目です。

○「円形巴紋符号」:「邦」字の上にありますが、微妙に左にずれており、「邦」と同じ行ではありません。「邦」を刻んだ後、ここを以て銘文が終了することを示すため、間の空いた余白に配したものと思われます。これと同様に、中山王方壺にも銘文の最後に1つ、円壺では最後の行の隣に上下2つ配しています。円壺に2つ配した理由は、その直ぐ左隣に第1行が始まるために加えた配慮と思われます。句読点は用いることがないわけですが、さすがに、このマークがなければ銘の出だしを見つけることは難しく、その難を避けたものと思われます。その発想にも中山篆の造形美の淵源をみてとることができそうです。

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