戦国中山王圓鼎を習う(104)「年覆呉克」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而驕。毋衆而囂。吝邦難。仇人才彷。於虖念之哉。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちて之を併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ。吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○[秊」(年):2回目です。稲などの穀類「禾」(か)とそれを担ぐか被る「人」からなる字で、農耕の儀礼をあらわすものです。「禾」は稲穂の実ったのみが肥点で表される場合がありますが、この場合は微妙にして線をなだらかに肥らせる表現にしています。これと同様な表現は、同器の「」(童)の「重」の部分(穀物を入れる袋の上から稲穂が出ている形)、円壺の「和」、方壺の「穆」にも使われています。なお、垂穂の線は「×」形の交差点に続くものですが、拓によってはそれが鮮明に出ていないものもあるので注意が必要です。

○「復」(覆):声符は「复」(ふく)。「复」の字形は量器の下に、「止」を逆さまにした「夊」(すい)を加え、動きが伴うこと表しています。つまり、ものを量る器を上下ひっくり返しながら、中の穀物を均等に収めるものと思われます。ただ、ここでは「くつがえす」意の「覆」に仮借しています。「覆」の本字の頭部は「襾」(か・あ)であり、この「襾」は器口に蓋や栓をしておおう形です。量器から穀物がこぼれ出ないように覆って上下ひっくり返すので、「くつがえす」意となるわけです。中山篆の字形は戦国期の字例と比較すると、「首」(頁・道など)や「會」にみられる表現に通じる装飾的な形状になっていることがわかります。なお、「襾」を構成素とする字には他に「賈」などがありますが、旧字体に構成素とする「要」の場合は腰骨や骨盤をあらわすものなので「襾」を用いるは本来適当ではありません。

○「呉」:(101)に続いて2回目です。頭の左への傾きに呼応するかのように、祝禱の器「」を右に傾けています。

○「」(克):6回目です。上部を右に傾けていますが、他の字例ではすべて正対していますので、修正して書いてもよいと思います。